子どもの保育園の話。
長女の6年間にわたる保育園生活が終わった。
最後の連絡帳には先生からのこんなコメントが書いてあった。
●●ちゃんの笑い声にたくさんパワーをもらいました。
●●ちゃんの頑張る姿もふくれっつらも笑顔も全部●●ちゃんで大好きです。
星の王子さまの「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」という有名な一節がある。
学生時代に好みのタイプは?なんてよく聞かれることがあった。
その度に頭の中にある好みの女性の顔やこうだったらいいなと言う理想の性格なんかを返したのだけれども。
そこにはなんともいえない、しっくりいかない感があった。
理想を寄せ集めてつくった理想像にはなんだかリアリティがなくて、本当にそんな人と出会っても恋に落ちないんじゃないかという思いがあったのだ。
事実、僕が好きになってきた人たちの外見のタイプはバラバラなんだけれども。
でも何事にも一生懸命やよく笑うなんていう共通点があった。
僕はそれが彼女たちの中にある僕にとっての井戸なんだと考えていた。
でも今の妻と付き合い、結婚し、子どもを育てていく中でちょっと違うのかもしれないと思うようになった。
砂漠が美しいのはどこかに井戸があるからかもしれないけれど、仮に井戸がなくたって砂漠には素敵なところがたくさんある。
それに砂漠の困ったところなんて数えたらキリがないかもしれない。でもやっぱり僕は砂漠に惹かれるんだ。
みたいな感じ。
僕の働く職場では愛着の課題を抱えた子たちもいる。
「その子の全てを丸ごと受け止めてあげましょう」
そんな言葉を耳にするけれど、そんなに簡単なことではない。
僕自身、何人を丸ごと受け止め、受け入れることができてきたのだろうか。
でも冒頭にあった保育園の先生からのメッセージからは、うちの娘が文字通り丸ごと受け止め、愛されてきたのだということがにじみでていた。
娘は幸せだなぁ。
素敵な先生方に巡り逢えて幸運を噛みしめる。
僕もわが家の子どもたちにそんな風に接しないとと、時折感情的になってしまう自分を振り返る。
それと同時に仕事で関わるたくさんの子どもたちに先生と同じように関わりたいなという思いが湧いてくる。
いただいたたくさんのものを次の誰かに繋いでいくために。
僕だけではない。
うちの娘たちもいただいたものを糧にし、また次の誰かに紡いでいくのだ。