うちの子どもの話。
小学2年生になったうちの娘がスーパーに買い物を行くというのに自分の財布を持っていくのだと言い始めた。
なにやら買いたいものがあるらしい。
何を買うのかと尋ねても教えてくれない。
とりあえずスーパーへ出発し、食材を買い終えると、ちょっと行ってくるとかけていく。
すぐに戻ってきて、2歳になったばかりの妹を連れてきてという。
なんでも誕生日のプレゼントに、好きなアンパンマンのガチャガチャをおごってあげたいそうだ。
我が家ではお手伝いをしておこづかいを稼ぐシステムだ。
時折り、お年玉や祖父母からのおこづかいがもらえるときもあるが、まだ毎月の定額制にはしていない。
上の娘はコツコツ貯める派で、ここぞというときにしか使わない。
いざおもちゃ売り場へ行っても、アレにしようかコレにしようかと悩んでなかなか決められない。優柔不断なのだ。
年長の弟は正反対で、おこづかいをもらうたびにすぐに使い切ってしまう。僕の小さい頃によく似ている笑。先日も残金が25円なのに「ゲームがしたい!ゲームがしたい!」と駄々をこねて借金をし、翌日から毎朝風呂掃除を強制的にさせられていた。
そんなコツコツ貯める派の長女が、妹にガチャガチャをおごってあげるなんて…
驚きと共にじんわりと嬉しさが浮かんでくる。
それと同時に相田みつをさんの詩が浮かんできた。僕が子どもの頃、実家のトイレには相田みつを日めくりカレンダーがあって、毎日、詩を眺めていたのだ。
うばい合えば
足らぬ
わけ合えば
あまる
そう、あれだけおこづかいを貯める派で、弟が割りのいいお手伝いをしていると「ズルい!」と連呼する娘も、妹へのプレゼントは気前よく払ってくれるのだ。
先日以来、ブログで仕事のグチのような話が多くなってしまっているが、今年度の職場で授業の担当や係分担を決めるとき、周りの皆さんが「私がやるよ」「僕がやるよ」と積極的に手を挙げてくれた。
先日も僕の仕事が増えそうになったのに注意してくれた先輩もいたし。本当に周りの人に恵まれているなぁと実感する。
みんなでやれば楽になるし、押しつけ合えばしんどくなるのだ。
もちろん無理に我慢してわけ合けあったり、自分のキャパを超えて手を挙げるのは違うのだけれども。
今回のような娘の妹への思いやりから、妹は分け合う嬉しさや喜びをしるのだろう。
その嬉しさや喜びを知ることで、下の娘もまた誰かとわけ合うことができるならば。
そんな思いやりの輪が広がっていけばなぁなんて、うちの子たちをみて思うのだ。
追伸
姉の行いを見てか、息子が父の誕生日になけなしのおこづかいをはたいてプレゼントを買ってくれた。
わが家の思いやりの輪は広がっているようだ。