メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

「知る」と「わかる」、「できる」と「やっている」

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考え方の違いの話。

 

 

教員という仕事柄、世間で「学校ではこんなことも教えていないのか」なんて言われることもある。

また僕たちの子どもへの評価に対して「もっとできているはずなんですけど」と保護者から言われることもある。

 

 

そういう時は大抵、考え方の違いからくるすれ違いが背景にあるのだ。

 

大人の方が上司から「言ったのになんでできていないんだ!」と叱られた経験は一度や二度ではないだろう。

そんなときに「仰るとおりです」よりは、「そんなこと言われたって…」とか「詳しく聞いてないし」とか「こんなふうになるなんて思っていなかったよ…」なんて思う方が多いだろう。

 

回転寿司の醤油差しをペロペロ舐めてはいけません。

なんてことをこちらが直接言ってはいなかったかもしれない。

けど、「公共のマナーやルールを守りましょう」とか「周りの人が嫌がることはしません」とかそれに類似することは山ほど言われてきたはずだ。

 

そして当たり前のことだが、一度や二度言われたからと言ってみんながみんなできるようになることはない。「知っている(聞いたことがある、学んだことがある)」と「できる」の間には大きな壁があるのだ。

 

もちろん学校やお家でできることが、いつでもどこでもできるのかというとそんなこともない。「できる」と「(いつでも当たり前のように)している」の間にも大きな壁がある。

 

だから(学校だけが全ての責任を負うのはちょっと違うと思うけれど)、「学校でこんなことも学んでいないのか?!」という批判には、「いや学びはしましたがまだできるには至っていません」と返すし、「家ではできているはずなのに!」という批判には「家では(もしかしたら強い圧やサポートがあるからかも?)できているかもしれませんが、(いろいろな理由で)学校ではできていません」返す。

 

 

「知る」と「わかる」、「できる」と「やっている」は全然違うのだ。

 

 

そして本当に「わかり」、毎日「している」になっていくために必要なのは本人の意思、本人が失敗した後悔わ頑張って成功した経験から学び、自分でやることを選択することが大事だ(もちろん続けていくための環境も大事で、続けようという意思をサポートしてくれる)。

 

 

そんなことを日々の子どもたちとの関わりの中で考えているのだが、最近大人に対してもそうなんじゃないかと思うようになってきた。

 

職場では教員全体の研修会などを企画する仕事を担っている。掲示やメルマガ、言葉で届く人もいれば、学ぶ気がそもそもない人もいる。

教育の世界も日進月歩。

学び続けないとすぐに浦島太郎になってしまう。でも学び続けなくても(表面上は)なんとかなってしまうのもこの世界だ。

そんな大人たちが知って終わりじゃなくて、やってみようと思ったり、できるようになってもらうためにはどうしたらいいのか?やりっぱなしで終わるのではなく、選択してもらうための工夫を考えないといけないんだなぁ。