本の感想。
『むずかしい毎日に、むつかしい話をしよう。(平熱)』という本を読んだ。
平熱先生の本は3冊目、読むのも3冊目だ。
前の2冊はnoteで紹介したけれど、今回はこのブログで。
帯を開くと「置かれた場所でも咲けるけど、咲きやすい場所で咲きたいです。」の文字が目に入る。
昔読んだ『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)』を思い出す。
この本を読んでいると、平熱先生と自分の似ている部分、共感する部分をいくつも発見する。
きっと同じような本を読んでいるのかな、なんて考える。
気になった、共感した部分は多すぎて全部は紹介できないので一部だけ…。
「できた」と「できる」の間にあるもの
きびしいことを言うと、「できる」はいつでも、どこでも、だれとでも、あたりまえにできる」状態です。
だから「人や場所が変わっても、再現できるかどうか」を大切にしないといけない。
つまり、去年の先生だから「できた」や、去年の教え方だから「できた」は、残念だけど「できる」で数えちゃいけません。
どうしてもわたしたちは自分に甘くなってしまうから、子どもたちの「できた」をすぐに「できる」で数えようとしてしまう。
でも、やっぱり、1回の「できた」や「がんばって、できた」は「できる」とまだまだ距離がある。
……
だから、わたしたちは目先の「できた」じゃなく、遠い先の「できる」を目指していきましょうよ。
初めて書いたブログを思い出す。
「種を植える仕事」という言葉について - メガネくんのブログ
子どもの成長(できた)を強要する促成栽培マンになってしまった先輩。
「あの人の指導が不十分だから」が口癖の圧の強い体育教師。
いつでも「できる」を目指すのに、そんな圧ばかりじゃなくて。
「どうしてできないんだ!」と怒鳴るだけなら、その辺のおばさんやおじさんでもできる。
そうじゃなくて、僕たちはプロなんだから、「どうすればできるかな」を考えないと(この辺りも本の内容と重なる)。
できる楽しさや嬉しさ、便利さ、お得さなんかを本人が実感できるやり方や関わり方の工夫ができないかなぁなんて僕は考えたい。なんて思ったり。
チームで働くプロだから
わたしが仕事をしている特別支援学校は、他のどの学校より先生同士の距離が近いです。チームプレイが多いです。
正直なところ、考え方や価値観が合わない先生はどの学校にもいます。ときには意地悪な人だっているし、あることないこと言われたこともあります。
教員同士の雰囲気が悪い状態で、子どもや保護者へのサービスがよくなるはずがありません。お互い大人かつプロの教員なんだから、本当はうまく折り合いをつけられるように歩み寄っていたいです。
そのために大事なのは、どれだけ馬が合わない間柄でもコミュニケーションのハシゴはこちらからは外さないことです。あいさつを無視したり、明からさまに態度を悪くしないことです。坊主と袈裟をなるべく分けて考えることです。
自分の中間管理職時代を思い出す。
バランスを取ってしまう習性 - メガネくんのブログ
今も職員室で聞こえてくる悪口が大嫌いだ。
もちろん人間なんだから、納得のいかない不平不満はもちろんある。
でもチームで働くのだ。
それぞれの得意不得意や良さは違うはずだ。
今年は中間管理職になる。
前の若い頃とはもう年齢も経験も違う。
とりあえず自分の手の届く範囲から。
みんなで過ごしやすい関係性になれたら。
そう思う。
しんどかったときの過去の自分のことを思い出して、いつかクラレッタのスカートを直せるような人になるために。
人の役に立ちたいんじゃなくて、人の役に立つことで自分を救いたいんだよ。
特別支援学校の先生としてはたらいて、それなりの年月が経過した。
卒業したのは教育大学でもなければ、教育学部でもない。
……
たまたま、なりゆきでこの仕事にたどり着いたわたしが、毎日それなりにたのしくはたらけているのはこの仕事を通して自分自身が救われているからだ。
特別支援学校に通う子どもたちはその障害や特性ゆえの「生きづらさ」を抱えている。
……
わたしの「生きづらさ」は器用貧乏であることだ。苦手なことがずいぶん少ない。そのかわり、ズバ抜けて得意なことも一切ない。
ついでに几帳面で繊細。人に嫌われることが苦手で、空気を読んで常に最善手を探してきた人生。「人からどう見えるか」に敏感で、「こう見られたい」と自分をプロデュースするのが得意。
ずっと「周囲の期待に答えないといけない」なんて"勝手な"使命感を背負って生きてきた。……
そのことは多くの場面で自信にもなったけど、ときには「(鎧をつけていない)ありのままの自分」への自身のなさや劣等感にもつながった。
まわりから見えている(であろう)自己肯定感の高さと、実際の自分が抱く自己肯定感の低さのギャップに苦しんだ。いや、ごめん。今もしっかり苦しんでいる。
……
生きづらさは「傷」になる。
みんながみんな、この「傷」にどうにかこうにか絆創膏を貼り付けて、泣きながら、立ち止まりながら進んでる。
わたしの抱える「器用貧乏」「嫌われるのが苦手」「空気を読む」「人にどう思われるかに敏感」「自分のプロデュースが得意」これらすべての「傷」は、子どもたちに社会で生きていく術を教えるときの「武器」になった。
子どもたちの「生きづらさ」を助けられる「武器」になった。
無数の「傷」に貼りつけてきた絆創膏は、子どもたちにも貼ってあげることができた。
……
それでも「役に立ちたい」と願うのは「生きづらさ」という自分の「傷」に貼りつけてきた絆創膏をだれかに貼ることができたとき、この「痛み」が無駄じゃなかったとと思えるからだ。この「痛み」が必要だったと思えるからだ。自分の「痛み」に理由を与えてあげられるからだ。
自分の気持ちを言い当てられたような錯覚に陥る。
僕も運動はあんまりだけれども、それ以外はソコソコできてしまう器用貧乏だった。
それに仲間外れになるのが嫌で、いつも周りを気にしていて、だから周りの困っているがよく目についたから動く、でも優しいと言われるのが嫌だった。
優しさコンプレックス - メガネくんのブログ
大学の中頃まで自分が嫌いで、もちろん自信もなかった。
法学部だし、正攻法ではない形で福祉に出会い、縁あって支援学校で働くことになった。専門知識がないのが不安で勉強もした。
子どもの頃から、小学校教員だった母には逃げ道を潰すような叱られ方をした。長男だったからか比較的厳しく育てられた。だからか俗に言うアダルトチルドレンみたいな傾向があるのを実感している。人に褒められるとそのために頑張ろうと思う反面、叱責はもちろん陰口や何気ない一言が気になって仕方なくなる。
漫画や雑誌が順番に並んでいないのに気づくと、すぐに並び替えたくなるくらいには、僕も自閉的な傾向を持っている。
障がいについて学ぶことなく、大学の先輩に誘われ障がい児学童で文字通り体当たりで働き始めて、障がいと出会った。
そんな僕の特性故か経歴故か、言葉では上手く言えないのだけれども、支援学校にいる一定の子たちのことがなんとなくわかるのだ。
もう四十手前だが、毎週ジャンプを買っているし、TikTokもたまに見る。フリースタイルラップも結構好きだ。
だからか子どもたちといる方が気軽に感じることも多い。
出会ってきた彼らとは、楽しい思い出も長い思い出も後悔もある。
彼らが僕との関わり(だけではもちろんないのだけれども)を通して、何かを学んだり、気づいたりして変わっていく姿を見れたのは僕の大切な宝物だ。
でもそんなふうに思えたのも、子どもたちとの関わりの中で何度も何度も自分自身の在り方を見直す機会をもらったからだ。
もっと言えば、僕自身の生きづらさに重なるような生きづらさをもつ子たちと関わる中で、子どもたちが変わっていく姿に自分を重ねているのかもしれない。
彼らが変わる姿を通して、僕も自分の瘡蓋の奥の傷に手を当ててもらってきたのだ。
自分の痛みに理由があったことを教えてもらえるから、もらってきたから。今日も、これからも僕は子どもたちにどうしたらいいのかを試行錯誤し続けるのだろう。
そんな自分自身の大切な在り方について再確認させられた。