メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

わけ合えばあまる、みんなでやればらくになる

f:id:megane_kun_ha107:20240421163652j:image

うちの子どもの話。

 

 

小学2年生になったうちの娘がスーパーに買い物を行くというのに自分の財布を持っていくのだと言い始めた。

なにやら買いたいものがあるらしい。

何を買うのかと尋ねても教えてくれない。

 

とりあえずスーパーへ出発し、食材を買い終えると、ちょっと行ってくるとかけていく。

すぐに戻ってきて、2歳になったばかりの妹を連れてきてという。

なんでも誕生日のプレゼントに、好きなアンパンマンのガチャガチャをおごってあげたいそうだ。

 

 

我が家ではお手伝いをしておこづかいを稼ぐシステムだ。

時折り、お年玉や祖父母からのおこづかいがもらえるときもあるが、まだ毎月の定額制にはしていない。

上の娘はコツコツ貯める派で、ここぞというときにしか使わない。

いざおもちゃ売り場へ行っても、アレにしようかコレにしようかと悩んでなかなか決められない。優柔不断なのだ。

年長の弟は正反対で、おこづかいをもらうたびにすぐに使い切ってしまう。僕の小さい頃によく似ている笑。先日も残金が25円なのに「ゲームがしたい!ゲームがしたい!」と駄々をこねて借金をし、翌日から毎朝風呂掃除を強制的にさせられていた。

そんなコツコツ貯める派の長女が、妹にガチャガチャをおごってあげるなんて…

驚きと共にじんわりと嬉しさが浮かんでくる。

 

それと同時に相田みつをさんの詩が浮かんできた。僕が子どもの頃、実家のトイレには相田みつを日めくりカレンダーがあって、毎日、詩を眺めていたのだ。

f:id:megane_kun_ha107:20240421163849j:image

うばい合えば

足らぬ

わけ合えば

あまる

 

そう、あれだけおこづかいを貯める派で、弟が割りのいいお手伝いをしていると「ズルい!」と連呼する娘も、妹へのプレゼントは気前よく払ってくれるのだ。

 

先日以来、ブログで仕事のグチのような話が多くなってしまっているが、今年度の職場で授業の担当や係分担を決めるとき、周りの皆さんが「私がやるよ」「僕がやるよ」と積極的に手を挙げてくれた。

先日も僕の仕事が増えそうになったのに注意してくれた先輩もいたし。本当に周りの人に恵まれているなぁと実感する。

みんなでやれば楽になるし、押しつけ合えばしんどくなるのだ。

 

もちろん無理に我慢してわけ合けあったり、自分のキャパを超えて手を挙げるのは違うのだけれども。

 

 

今回のような娘の妹への思いやりから、妹は分け合う嬉しさや喜びをしるのだろう。

その嬉しさや喜びを知ることで、下の娘もまた誰かとわけ合うことができるならば。

そんな思いやりの輪が広がっていけばなぁなんて、うちの子たちをみて思うのだ。

モネとラカン、あるいは感覚と言葉による認識

f:id:megane_kun_ha107:20240410184538j:image

モネの話。

 

 

先日モネ展に行ってきた。

昔からモネの睡蓮になぜか惹かれ、機会があればモネの描いた絵に会いに足を運んでいる。

 

 

たまたまなのだけれども、モネ展に行く日にラカンについての本を読んでいた。

 まず忘れてはならないことは、人間のあらゆる体験において、ほとんど常に言葉が先行している、ということ。

 

入場待ちの列の中で顔をあげて周囲の音に耳を傾ける。

「麻薬で痛みを誤魔化して…」

「音楽家で言ったら誰の頃…」

「AKBで…」

「順番に案内いたします」

「自分でヘイト集める側なんやな…」

 

世界は言葉で溢れている。

 

 

そして子どもは言葉を手にすることで大事なものを失うことになるという。

要するに、言葉=象徴を手に入れるっていうのは、そういうことなんだ。そばにママがいないという現実に耐えるために、「ママの象徴」でガマンすること。「存在」を「言葉」に置き換えることは、安心につながると同時に、「存在」そのものが僕たちから決定的に隔てられてしまうことを意味している。僕たちはこの時から「存在そのもの」、すなわち「現実」に直接関わることを断念せざるを得なくなったんだ。僕たちは「現実」について言葉で語るからあるいはイメージすることでしか接近することができない。

……

こうして、「子ども」は「人間」になる。子どもは人間未満だったから、人間になってしまった僕たちは、言葉を手に入れるかわりに、子ども時代を永遠に失うことになる。

言葉を手にする代わりに失った大事なものはもう戻らない。

 

 

モネの絵を鑑賞する。

今回のモネ展は彼が印象派と呼ばれる以前の作品から、晩年の睡蓮などの連作まで、年代ごとに作品が並べられている。

原画を見ると細かな筆致がわかり、ディスプレイや紙面で見るのとはまた全然イメージが変わってくる。

 

何度も往復し、彼の作品を見ていると、なんとなく感じるもながある。

初期の頃の作品で背景でしかなかった空や空気、あるいは水が、時を経るにつれて彼の主題になっていったように感じる。

水は影を写し出す鏡や水色の背景ではなく、流れや揺らぎをもった水自体として描かれるようになっていく。

原画で見ると、モネその筆跡が目には見えないはずの空気や風の流れを感じたままにとらえようとしているのではないかとの思いが浮かんでくる。

白内障が進行し、見えなくなりつつあるはずなのに、目には見えないものを捉えて描こうとするモネ。

 

 心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ

 

そんなことを考えていると星の王子さまで紹介されるうわばみのことを思い出す。

f:id:megane_kun_ha107:20240410183246j:image

 

これは帽子だろうか。

それとも、うわばみに飲み込まれたゾウだろうか。

 

「帽子」という言葉で表されれば帽子以外の何者でもなくなる。

言葉を操る大人は誰しも帽子と見なすけれど、星の王子さまは見えないはずの中身のゾウを見抜くのだ。

 

そういえば星の王子さまも子どもだと気付く。

 

 

 

言葉について語るラカン

 

ラカンの言葉を借りるなら、僕たちは誰も現実を認識することはできないようだ。

リアル(現実)は実感できないが、リアリティ(現実らしさ)は実感できるという。

まるでプラトンイデアの洞窟の比喩のような話。

 

それに対して、 目に見えない、言葉にならないものを描きだそうとするモネ

 

 

モネが描こうとしたのはリアル(現実)なのか、それともリアリティ(現実っぽさ)なのか。

 

ただ僕には、見えないからこそ、言葉を操る僕たちでは存在を認識することもできない現実(ラカンでいうところの現実界)に気づき、見えにくい目故にそれを描いたんじゃないかなんて考えてしまう。

 

ラカンを知ったからこそ考えた、そんなモネねについての妄想の話。

新学期の余波で

f:id:megane_kun_ha107:20240414133540j:image

お家の話。

 

春休み中の教員は意外と忙しい。

 

新年度に向けた会議の準備。

そして4月から始まる会議。会議。会議の嵐。

昨年度からの引き継ぎ分も含めて4種類くらいの会議資料を準備する。

 

そして隙間を縫うように放たれる質問の数々。

「いや、自分は家電量販店のスタッフじゃないんですけどね」と言いたくなる質問にも対応する。

正直、自分が何をしているのかわからなくなるようや慌ただしさ(それに拍車をかける娘のお弁当づくり)。

 

それらの合間に学級開きの準備を進める。

一応前年度の教室使用者が掃除してくれているが、掃除の質というかどこまでしたかは個人個人によって異なる。当然のことだけれど。

でも、大人だから少々の汚れがあっても胸の内に秘めて何も言わず、自分で掃除する。当然のことだけれど。

 

僕の働くのは支援学校なので、清潔や整理整頓はもちろん、どこに何をおけばいいのかが一目でわかるようなシステムが望ましい。専門用語で構造化というのだけれども、机椅子の番号や位置(床には目印)はもちろん、連絡帳などを提出する位置、カードなどがバラバラにならないよう(ビニール袋ではなく)ジップロックや連絡帳ケースに入れる、ロッカー内の物の置き場所を決める(必要なら子には見本の写真を添える)、個人のものや場所がわかるようその子ごとに選んだ色丸シールを貼るなどなど教室整備を進めていく。

僕個人のこだわりもあるので、相担任の先生方に断った上で、マグネットなども統一感のあるものに揃える(種類がバラバラの学校のものは僕の個人ロッカーの奥に1年間眠らせる)。

 

 

そんなことをしているの不定期に訪れる自分の中のお掃除スイッチがオンになる。

 

僕は毎日定期的に決められた掃除をするのが嫌いだ。

別に掃除が嫌いなわけではないし、周りからは綺麗好きのように思われている。

ただスイッチが入らないとやる気がででこないのだ。

そして一度スイッチが入り、お掃除モードになると、それまでは見て見ぬふりをしていた棚や時計などの上のホコリ、排水溝のヌメリ、ごちゃ混ぜにものが入っている引き出しの中などが急に気になって仕方なくなる。

昨日もお風呂掃除のときにヌメリが気になってしまい浴槽横を取り外して掃除してしまった。

ハンディモップ片手に高所や奥のホコリを駆逐し、庭の雑草も抜いてしまう。

 

 

教材づくりとか、授業準備とか、ランニングとか、溜まってきた本を読むとか、いろいろあるんだけれどね。

もしかしたら試験前の急に部屋を片付けたくなるアレに近いのかもしれない。

 

そんな訳で、新学期の余波から我が家はかなり掃除が行き届いている。

むずかしい毎日に、むずかしい話をする。

f:id:megane_kun_ha107:20240410221634j:image

本の感想。

 

『むずかしい毎日に、むつかしい話をしよう。(平熱)』という本を読んだ。

 

 

平熱先生の本は3冊目、読むのも3冊目だ。

前の2冊はnoteで紹介したけれど、今回はこのブログで。

 

帯を開くと「置かれた場所でも咲けるけど、咲きやすい場所で咲きたいです。」の文字が目に入る。

昔読んだ『置かれた場所で咲きなさい(渡辺和子)』を思い出す。

 

この本を読んでいると、平熱先生と自分の似ている部分、共感する部分をいくつも発見する。

きっと同じような本を読んでいるのかな、なんて考える。

 

気になった、共感した部分は多すぎて全部は紹介できないので一部だけ…。

 

 

「できた」と「できる」の間にあるもの

 きびしいことを言うと、「できる」はいつでも、どこでも、だれとでも、あたりまえにできる」状態です。

 だから「人や場所が変わっても、再現できるかどうか」を大切にしないといけない。

 つまり、去年の先生だから「できた」や、去年の教え方だから「できた」は、残念だけど「できる」で数えちゃいけません。

 どうしてもわたしたちは自分に甘くなってしまうから、子どもたちの「できた」をすぐに「できる」で数えようとしてしまう。

 でも、やっぱり、1回の「できた」や「がんばって、できた」は「できる」とまだまだ距離がある。

……

 だから、わたしたちは目先の「できた」じゃなく、遠い先の「できる」を目指していきましょうよ。

 

初めて書いたブログを思い出す。

「種を植える仕事」という言葉について - メガネくんのブログ

 

子どもの成長(できた)を強要する促成栽培マンになってしまった先輩。

「あの人の指導が不十分だから」が口癖の圧の強い体育教師。

いつでも「できる」を目指すのに、そんな圧ばかりじゃなくて。

 

「どうしてできないんだ!」と怒鳴るだけなら、その辺のおばさんやおじさんでもできる。

そうじゃなくて、僕たちはプロなんだから、「どうすればできるかな」を考えないと(この辺りも本の内容と重なる)。

できる楽しさや嬉しさ、便利さ、お得さなんかを本人が実感できるやり方や関わり方の工夫ができないかなぁなんて僕は考えたい。なんて思ったり。

 

 

チームで働くプロだから

 わたしが仕事をしている特別支援学校は、他のどの学校より先生同士の距離が近いです。チームプレイが多いです。

 正直なところ、考え方や価値観が合わない先生はどの学校にもいます。ときには意地悪な人だっているし、あることないこと言われたこともあります。

 教員同士の雰囲気が悪い状態で、子どもや保護者へのサービスがよくなるはずがありません。お互い大人かつプロの教員なんだから、本当はうまく折り合いをつけられるように歩み寄っていたいです。

 そのために大事なのは、どれだけ馬が合わない間柄でもコミュニケーションのハシゴはこちらからは外さないことです。あいさつを無視したり、明からさまに態度を悪くしないことです。坊主と袈裟をなるべく分けて考えることです。

 

自分の中間管理職時代を思い出す。

バランスを取ってしまう習性 - メガネくんのブログ

今も職員室で聞こえてくる悪口が大嫌いだ。

もちろん人間なんだから、納得のいかない不平不満はもちろんある。

でもチームで働くのだ。

それぞれの得意不得意や良さは違うはずだ。

 

今年は中間管理職になる。

前の若い頃とはもう年齢も経験も違う。

とりあえず自分の手の届く範囲から。

みんなで過ごしやすい関係性になれたら。

そう思う。

しんどかったときの過去の自分のことを思い出して、いつかクラレッタのスカートを直せるような人になるために。

 

 

人の役に立ちたいんじゃなくて、人の役に立つことで自分を救いたいんだよ。

 特別支援学校の先生としてはたらいて、それなりの年月が経過した。

 卒業したのは教育大学でもなければ、教育学部でもない。

……

 たまたま、なりゆきでこの仕事にたどり着いたわたしが、毎日それなりにたのしくはたらけているのはこの仕事を通して自分自身が救われているからだ。

 特別支援学校に通う子どもたちはその障害や特性ゆえの「生きづらさ」を抱えている。

……

 わたしの「生きづらさ」は器用貧乏であることだ。苦手なことがずいぶん少ない。そのかわり、ズバ抜けて得意なことも一切ない。

 ついでに几帳面で繊細。人に嫌われることが苦手で、空気を読んで常に最善手を探してきた人生。「人からどう見えるか」に敏感で、「こう見られたい」と自分をプロデュースするのが得意。

 ずっと「周囲の期待に答えないといけない」なんて"勝手な"使命感を背負って生きてきた。……

 そのことは多くの場面で自信にもなったけど、ときには「(鎧をつけていない)ありのままの自分」への自身のなさや劣等感にもつながった。

 まわりから見えている(であろう)自己肯定感の高さと、実際の自分が抱く自己肯定感の低さのギャップに苦しんだ。いや、ごめん。今もしっかり苦しんでいる。

……

 生きづらさは「傷」になる。

 みんながみんな、この「傷」にどうにかこうにか絆創膏を貼り付けて、泣きながら、立ち止まりながら進んでる。

 わたしの抱える「器用貧乏」「嫌われるのが苦手」「空気を読む」「人にどう思われるかに敏感」「自分のプロデュースが得意」これらすべての「傷」は、子どもたちに社会で生きていく術を教えるときの「武器」になった。

 子どもたちの「生きづらさ」を助けられる「武器」になった。

 無数の「傷」に貼りつけてきた絆創膏は、子どもたちにも貼ってあげることができた。

……

 それでも「役に立ちたい」と願うのは「生きづらさ」という自分の「傷」に貼りつけてきた絆創膏をだれかに貼ることができたとき、この「痛み」が無駄じゃなかったとと思えるからだ。この「痛み」が必要だったと思えるからだ。自分の「痛み」に理由を与えてあげられるからだ。

 

自分の気持ちを言い当てられたような錯覚に陥る。

僕も運動はあんまりだけれども、それ以外はソコソコできてしまう器用貧乏だった。

それに仲間外れになるのが嫌で、いつも周りを気にしていて、だから周りの困っているがよく目についたから動く、でも優しいと言われるのが嫌だった。

優しさコンプレックス - メガネくんのブログ

大学の中頃まで自分が嫌いで、もちろん自信もなかった。

法学部だし、正攻法ではない形で福祉に出会い、縁あって支援学校で働くことになった。専門知識がないのが不安で勉強もした。

 

子どもの頃から、小学校教員だった母には逃げ道を潰すような叱られ方をした。長男だったからか比較的厳しく育てられた。だからか俗に言うアダルトチルドレンみたいな傾向があるのを実感している。人に褒められるとそのために頑張ろうと思う反面、叱責はもちろん陰口や何気ない一言が気になって仕方なくなる。

 

漫画や雑誌が順番に並んでいないのに気づくと、すぐに並び替えたくなるくらいには、僕も自閉的な傾向を持っている。

 

障がいについて学ぶことなく、大学の先輩に誘われ障がい児学童で文字通り体当たりで働き始めて、障がいと出会った。

 

そんな僕の特性故か経歴故か、言葉では上手く言えないのだけれども、支援学校にいる一定の子たちのことがなんとなくわかるのだ。

 

もう四十手前だが、毎週ジャンプを買っているし、TikTokもたまに見る。フリースタイルラップも結構好きだ。

だからか子どもたちといる方が気軽に感じることも多い。

 

出会ってきた彼らとは、楽しい思い出も長い思い出も後悔もある。

彼らが僕との関わり(だけではもちろんないのだけれども)を通して、何かを学んだり、気づいたりして変わっていく姿を見れたのは僕の大切な宝物だ。

でもそんなふうに思えたのも、子どもたちとの関わりの中で何度も何度も自分自身の在り方を見直す機会をもらったからだ。

もっと言えば、僕自身の生きづらさに重なるような生きづらさをもつ子たちと関わる中で、子どもたちが変わっていく姿に自分を重ねているのかもしれない。

彼らが変わる姿を通して、僕も自分の瘡蓋の奥の傷に手を当ててもらってきたのだ。

自分の痛みに理由があったことを教えてもらえるから、もらってきたから。今日も、これからも僕は子どもたちにどうしたらいいのかを試行錯誤し続けるのだろう。

 

 

そんな自分自身の大切な在り方について再確認させられた。

 

減らしたい体重、増える甘味

f:id:megane_kun_ha107:20240404213435j:image

身体の話。

 

小さい頃から好き嫌いが多い子どもだった。

食べる量にもムラがあり、周りが驚くほどよく食べるときもあれば、普段はあまり食べないことが多かったそうだ。

胃下垂体質で食べればぽっこりお腹が出るが、そこまで太らず、むしろガリガリに近い部類だった。小学校のあだ名のひとつに「骨皮筋左衛門(ほねかわすじえもん)」というのがある。

 

小学校のミニバスから高校まではがっつりバスケをやっていた。

特に高校からは筋トレに目覚め、外練の日には3on3で遊んでいる部員を尻目に、ランニングとウエイトで負荷をかけた筋トレに夢中になっていた。

体重は58キロ、体脂肪率は8パーセントをキープし、人生で1番絞れていた。

部活引退後の受験生活で一旦体重は増えた。大学になり、飲み会続きの自堕落な生活のせいで筋肉は落ちたが、おそらく脂肪に変わったため体重はそこまで増えなかった。60〜65キロの間くらいだった。

ちょっとお腹がプニってきても少し筋トレをすればなんとか誤魔化せた。

今でも大学時代の服が着れるくらい、シルエットは変わっていない。

その陰で、僕の身体の内側に内臓脂肪が確実に蓄積されていたのだが…

 

30代になり、筋トレをしてもお腹のお肉が取れなくなってきた。

コロナ禍で定期的にしていたジョギングや視覚障がいスポーツをする機会もなくなり、65前後だった体重は、徐々に66、67、68と推移していった。

「このぐらい誤差だよ」

そう自分を騙しながら見て見ぬふりをしていたが、先日2月に行った家族旅行の温泉脱衣場で体重を測ったときに、70キロを少し超えていた。

「もう見て見ぬ振りはできない」

そう決心し、お風呂や子どもたちが寝てからリビングで、あるいは布団の中でスマホをいじる時間に筋トレを始めた。

効果は以外にもすぐに訪れ、体重は67キロ台まで減少した。

体重を測るのが楽しみの一つになった。

とりあえず目標65キロと考えているのだが…ここで難敵が現れた。

 

ストレスだ。

 

若い頃は「寝れば嫌なことは忘れます」なんてお気楽なことを言っていたが、40代目前にして寝ても疲れが取れない身体に怯えている。

妻に勧められて身体にあった枕も購入した。

が、ここ数日は明け方に目が覚めてしまう。

当然疲れも残ったままだ。

 

そして甘味が好きな僕は仕事の合間におやつを食べてしまう。

稼業日中ならいざ知らず、春休み中の今はいつでもおやつ食べ放題だ。

そして転勤される方や周りの席の方からいただく甘味がたくさんある。

食べずにはいられない。

 

妻には「間食やジュースをやめたら一気に痩せるんじゃない?」と言われる。

それに対して「いや、摂取カロリーを減らすよりも、筋肉量を増やして基礎代謝を上げた方が長期的にコスパがいいから」とうそぶいてきた。

 

そう、本当は妻の言うことが正しいのだ。

わかっている。

体重は減らしたい。

でも。

でも、甘味は止められない。

ストレスという免罪符を掲げて、つい魅惑の黒いシュワシュワ炭酸飲料も飲んでしまう。

学校近くに500ミリリットルの缶が100円で売っているのが悪いのだ。

 

 

激増した仕事量は僕にストレスだけでなく、二次災害的な暴飲暴食によって体重も増やしにかかってくる。

悪魔的な所業。

体重を減らしたい思いに反して増える甘味。

いや、今や「今日は筋トレしたから、食べても大丈夫。実質カロリーゼロ」なんて悪魔の囁きに染まり、ドップリ肩まで浸かっている状態だ。

昨日の夜は仕事をしながらラーメンを食べてしまった。

今日のランチは一人焼肉に行ってしまった。

3時のおやつにはパルムを食べてしまった。

ゴミ箱には山盛りのお菓子の包装紙…。

 

必然的に体重計を避ける意識が働き、ここ数日は体重を測っていない。

ストレスの弊害。

 

 

今日の僕の体重は…神のみぞ知る。

 

 

追伸

こんな話を書いていると、妻から「スタバでメロンフラペチーノが販売されるよ」と言われる。ストレスとメロンが僕を呼んでいるようだ笑。

働きたくない気持ちとは裏腹に…

f:id:megane_kun_ha107:20240403071414j:image

仕事の話。

 

4月は教員にとって忙しい時期だ。

そして自分も周りも師走のように走り回ってバタバタの中で仕事をしている中で、謎のエネルギーが身体に満ちてくる。

毎年のようにブログでそのドーピングパワーについて書いている。

湧き出るドーピングパワー - メガネくんのブログ

 

今年は謎のダブル役職という全然納得のいかない人事でのスタートとなった。

周りの人にはとても恵まれているので、みなさん配慮してくださるのは有り難い。

だけれども…

あっちで呼ばれ、こっちで話し、そっちでも呼ばれ…と正直自分の時間がほぼ持てない。

教室整備や授業準備なんて後回しの後回しだ。

そして降ってくる仕事、仕事、仕事。

 

 

年齢ももう40目前。

年配の方からは一番脂の乗った年齢と言われるが、正直に言って油物でちょっと胃がもたれる身体になってきた。

小さい子どもも3人いるし、無理はしたくない。

ガンガンいこうぜ」のコマンドは多用したくない。

もうドーピングパワーは封印する。

そう思っていた。

 

 

なのに。

それなのに。

僕の気持ちとは裏腹に。

湧き出てくるのだ、ドーピングパワーが。

 

ここ数日は謎に朝5時くらいに目が覚めてしまう。

まぁ娘のお弁当をつくるからちょうどいいのだけれども(給食、早くスタートしてくれ!)。

職場でもいろんなことが気になって、動き回ってしまう。

これはやめておこうと思っていた仕事にもつい手を出してしまう。

そして降ってくる仕事、仕事、仕事。

 

 

3Pの音を聞いた三井のように仕事を見かけると復活してくるドーピングパワー。

ヘロヘロでいいんだよ。

泡食ったように止めたいんだよ。

なんで蘇ってくるんだよ。

あきらめが悪いんだよ。

f:id:megane_kun_ha107:20240403081954j:image

 

 

そう、そんなあきらめの悪いドーピングパワーを僕は明らかに御しきれていない。

そしてドーピングパワーは無限ではない。有限のスタミナを絞り出しているものなのだ。

 

 

さぁ僕は今年一年を無事に乗り切ることができるのか。

不安ばかりがつのっていく。

仕事が倍に増えても給料は倍にはならないどころか据え置き、それが教員

f:id:megane_kun_ha107:20240327080458j:image

仕事の話。

 

教員というのは特殊な仕事だ。

法律によって残業代は一律4%と定められている。

つまりどれだけの時間残業しても、残業代が稼げるわけではない。

僕が学生の頃は、土日の部活指導の手当は1日500円だったというから、その頃よりは改善されたのかもしれないが…(今はもうちょっと増えた)

部活指導などで勤務時間で給料を割り、時給を計算するとシャレにならないという話もよく聞く。

全盛期のビル・ゲイツの時給46億円とは比較してはいけないのだけれども…明るい気持ちにはならない。

 

そして公務員であるので、給与の額は勤務年数と役職(教諭、首席、教頭、校長など)によって定められている。

評価制度によってボーナスが増額されるなどの制度はあるが、基準となる給与額は何時間働こうが(あるいは働くまいが)、変わらない。

 

 

ここからは個人的な愚痴のようなものになるのだが…

在校年数が長くなると学年主任とか、いろんな係のチーフやらが集まってくることが多い。

断定的に書けないのは、転勤してきてからの年数が増えれば役職が増える人もいるが、増えない人もいるからだ。

それは年齢においても言える。

一般的に年齢が上がるほど、役職に就く人が多くなる。その分給料も増えていく。

ただ年齢が上がっても全く役職に就かない人もいる。

 

職場では「仕事の偏りをなくそう」と声を大にして叫んでいる人がいる。

前の職場では、仕事の割り振りに大変さの度合いをつけて(まるでスカウターみたい笑)、均等になるようにしたらどうかと本気で考えている人もいた。

残念ながら人は皆主観的な存在なので、自分の仕事に対して「これは大変だ」とかいうバイアスがかかってしまう。

そして全ての仕事を経験して公平にジャッジできる人はいない。

仕事量スカウターとかあればいいのに。

Aの仕事を取ったら月給●万円とかね。

まぁ公務員の特性上、そればできない。

なら給料の額に応じて仕事量を調整できるのか。

ベテランの方に大変な役職なども取ってもらう。一部ではそれもできている。

ただ役職には就かないベテランも一定数いる。

まぁベテランにもそれぞれなのだけれども(もしかしたら僕も陰でそう思われているかもしれないけれど笑)

「あなたたちはどちらのベテランになりますか?」 - メガネくんのブログ

 

まぁ年限に応じてというよりは、若手も中堅もベテランも含めて公平に分けようというのが現実の話だ。

どんなベテランであっても、若手と同じ量の仕事は分担してくださいね。

冷静になればそれもおかしいのだけれども。

 

ただ現実はさらに残酷だ。

特にクラス担任や授業担当を調整する年末年始はそれぞれのエゴが剥き出しになる。

役職を決めるときに皆が俯き誰も手をあげないまま時間だけが過ぎる耐久レースのような会議。

自分のやりたいこと、大変な身体や家庭などの事情、そしてお気持ちをガンガン主張するベテラン(誰にも事情はあるのだけれど)。

幾度となくそんな場を経験してきた。

そういうのを見ると暗鬱な気持ちになる。

 

 

かと言って自分がそうなりたいとは思わない。

僕の生き方の癖のようなものかもしれないが、「自分が少し損しているくらいで丁度いい」そう思ってしまう。

 

 

ただ明らかに不公平な人事があった。

それに加えて目に見えない、例えばICT関係や授業、行事、係りの仕事、子どものことなどで相談を受けることも多い。

体感では転勤1年目の倍くらいの仕事量になるのだろうか。

4月からに大きな不安を抱えている自分がいる。

 

給料が倍になればこんな不安も吹き飛ぶのだろうか。

まぁ仮に仕事が倍に増えたとしても、給料は倍にはならず据え置き価格なのだけれど。

 

そんなことを考えていたら過去の自分も同じような内容のブログを書いていたのを発見して笑ってしまう。

2.0の人と0の人で成り立つ世界 - メガネくんのブログ

 

 

そう、休憩しながら、少しずつ、ぼちぼち進んでいくのだ。

どうせ自分にできる範囲のことしかできないのだから。