メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

働きたくない気持ちとは裏腹に…

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仕事の話。

 

4月は教員にとって忙しい時期だ。

そして自分も周りも師走のように走り回ってバタバタの中で仕事をしている中で、謎のエネルギーが身体に満ちてくる。

毎年のようにブログでそのドーピングパワーについて書いている。

湧き出るドーピングパワー - メガネくんのブログ

 

今年は謎のダブル役職という全然納得のいかない人事でのスタートとなった。

周りの人にはとても恵まれているので、みなさん配慮してくださるのは有り難い。

だけれども…

あっちで呼ばれ、こっちで話し、そっちでも呼ばれ…と正直自分の時間がほぼ持てない。

教室整備や授業準備なんて後回しの後回しだ。

そして降ってくる仕事、仕事、仕事。

 

 

年齢ももう40目前。

年配の方からは一番脂の乗った年齢と言われるが、正直に言って油物でちょっと胃がもたれる身体になってきた。

小さい子どもも3人いるし、無理はしたくない。

ガンガンいこうぜ」のコマンドは多用したくない。

もうドーピングパワーは封印する。

そう思っていた。

 

 

なのに。

それなのに。

僕の気持ちとは裏腹に。

湧き出てくるのだ、ドーピングパワーが。

 

ここ数日は謎に朝5時くらいに目が覚めてしまう。

まぁ娘のお弁当をつくるからちょうどいいのだけれども(給食、早くスタートしてくれ!)。

職場でもいろんなことが気になって、動き回ってしまう。

これはやめておこうと思っていた仕事にもつい手を出してしまう。

そして降ってくる仕事、仕事、仕事。

 

 

3Pの音を聞いた三井のように仕事を見かけると復活してくるドーピングパワー。

ヘロヘロでいいんだよ。

泡食ったように止めたいんだよ。

なんで蘇ってくるんだよ。

あきらめが悪いんだよ。

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そう、そんなあきらめの悪いドーピングパワーを僕は明らかに御しきれていない。

そしてドーピングパワーは無限ではない。有限のスタミナを絞り出しているものなのだ。

 

 

さぁ僕は今年一年を無事に乗り切ることができるのか。

不安ばかりがつのっていく。

仕事が倍に増えても給料は倍にはならないどころか据え置き、それが教員

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仕事の話。

 

教員というのは特殊な仕事だ。

法律によって残業代は一律4%と定められている。

つまりどれだけの時間残業しても、残業代が稼げるわけではない。

僕が学生の頃は、土日の部活指導の手当は1日500円だったというから、その頃よりは改善されたのかもしれないが…(今はもうちょっと増えた)

部活指導などで勤務時間で給料を割り、時給を計算するとシャレにならないという話もよく聞く。

全盛期のビル・ゲイツの時給46億円とは比較してはいけないのだけれども…明るい気持ちにはならない。

 

そして公務員であるので、給与の額は勤務年数と役職(教諭、首席、教頭、校長など)によって定められている。

評価制度によってボーナスが増額されるなどの制度はあるが、基準となる給与額は何時間働こうが(あるいは働くまいが)、変わらない。

 

 

ここからは個人的な愚痴のようなものになるのだが…

在校年数が長くなると学年主任とか、いろんな係のチーフやらが集まってくることが多い。

断定的に書けないのは、転勤してきてからの年数が増えれば役職が増える人もいるが、増えない人もいるからだ。

それは年齢においても言える。

一般的に年齢が上がるほど、役職に就く人が多くなる。その分給料も増えていく。

ただ年齢が上がっても全く役職に就かない人もいる。

 

職場では「仕事の偏りをなくそう」と声を大にして叫んでいる人がいる。

前の職場では、仕事の割り振りに大変さの度合いをつけて(まるでスカウターみたい笑)、均等になるようにしたらどうかと本気で考えている人もいた。

残念ながら人は皆主観的な存在なので、自分の仕事に対して「これは大変だ」とかいうバイアスがかかってしまう。

そして全ての仕事を経験して公平にジャッジできる人はいない。

仕事量スカウターとかあればいいのに。

Aの仕事を取ったら月給●万円とかね。

まぁ公務員の特性上、そればできない。

なら給料の額に応じて仕事量を調整できるのか。

ベテランの方に大変な役職なども取ってもらう。一部ではそれもできている。

ただ役職には就かないベテランも一定数いる。

まぁベテランにもそれぞれなのだけれども(もしかしたら僕も陰でそう思われているかもしれないけれど笑)

「あなたたちはどちらのベテランになりますか?」 - メガネくんのブログ

 

まぁ年限に応じてというよりは、若手も中堅もベテランも含めて公平に分けようというのが現実の話だ。

どんなベテランであっても、若手と同じ量の仕事は分担してくださいね。

冷静になればそれもおかしいのだけれども。

 

ただ現実はさらに残酷だ。

特にクラス担任や授業担当を調整する年末年始はそれぞれのエゴが剥き出しになる。

役職を決めるときに皆が俯き誰も手をあげないまま時間だけが過ぎる耐久レースのような会議。

自分のやりたいこと、大変な身体や家庭などの事情、そしてお気持ちをガンガン主張するベテラン(誰にも事情はあるのだけれど)。

幾度となくそんな場を経験してきた。

そういうのを見ると暗鬱な気持ちになる。

 

 

かと言って自分がそうなりたいとは思わない。

僕の生き方の癖のようなものかもしれないが、「自分が少し損しているくらいで丁度いい」そう思ってしまう。

 

 

ただ明らかに不公平な人事があった。

それに加えて目に見えない、例えばICT関係や授業、行事、係りの仕事、子どものことなどで相談を受けることも多い。

体感では転勤1年目の倍くらいの仕事量になるのだろうか。

4月からに大きな不安を抱えている自分がいる。

 

給料が倍になればこんな不安も吹き飛ぶのだろうか。

まぁ仮に仕事が倍に増えたとしても、給料は倍にはならず据え置き価格なのだけれど。

 

そんなことを考えていたら過去の自分も同じような内容のブログを書いていたのを発見して笑ってしまう。

2.0の人と0の人で成り立つ世界 - メガネくんのブログ

 

 

そう、休憩しながら、少しずつ、ぼちぼち進んでいくのだ。

どうせ自分にできる範囲のことしかできないのだから。

アレが再開/完結するまでは…と思いつつ

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今週のお題「卒業したいもの」について。

 

「卒業したいもの」と聞いて真っ先に浮かんできたのが週刊少年ジャンプだ。

もう端から端まで何度も読み返すことはないのだけれども、未だに惰性で買い続けている。

 

僕がジャンプに出会ったのは小学3年生の頃だろうか。

同じく惰性でジャンプを購入していた父親が、部屋に置いているジャンプをこっそり読み耽った。

確かジョジョは3部で、ドラゴンボール幽☆遊☆白書が連載していた。

間もなく父はジャンプの購読をやめてしまうが、僕は変わらずジャンプを購読している友だちの家へ行き、文字通り隅から隅まで読み返した。もう今はジャンプ情報局の投稿作品を見てあんなに笑い転げることはないんだろう。

大人になることはちょっと悲しいことだ。

 

高校生になるとコンビニで立ち読みする日々が始まった。

月曜日はジャンプとヤンマガ、スピリッツ

火曜日はプレイボーイとスーパージャンプ、時々月ジャンと月刊マガ

水曜日はサンデーとマガジン

木曜日はヤンジャン

金曜日はヤングアニマル

あの頃は自分は散々立ち読みしていたのに、同じように周囲で立ち読みしているサラリーマンに憤りを感じていた。

「稼いでいるんだから立ち読みせずに買えよ!」と

そのルーティンは大学生でも社会人になってからも続いた。

特に大学の頃は近くのコンビニへ行くと見知った顔が立ち読みしていたし、その頃絶頂期を迎えていた刃牙のネタバレ合戦を毎週のようにしていた。

 

働き出してからは、社会人の現実を思い知った。そう、立ち読みしている漫画を全部買うのは無理だと。

申し訳程度に週刊少年ジャンプだけは購読するようにした。

「コンビニさん。全部は無理だけれど、ジャンプは買うから他の立ち読みは見逃してね」

声に出したことのない僕のこの想いは、店長に届いていたのだろうか…

 

その時から惰性でジャンプを買い続けている。

BLEACHNARUTO、トリコ、こち亀太臓もて王サーガネウロボーボボソワカ、アイシールド、BLACK CAT、PSYEN、スケットダンス、いろんな漫画との別れがあった。

僕の中の全盛期から残っているのはワンピースとHUNTER×HUNTERくらいだろうか。

 

ワンピースが完結するまでは、

そしてHUNTER×HUNTERが再開するまでは、

そんな卒業への思いがある。

 

 

ところが最近小1の娘が僕の買って帰るジャンプを読み始めた。

アオのハコや夜桜さんちの大作戦、ロボコなんかを読んでは、僕にネタバレしてくる。

その嬉々としてジャンプを読み耽る姿に、過去にジャンプを買って帰ってきた父親はこんな気持ちだったのかと考える。

 

どうやら考えていた卒業はまだ少し先になりそうだ。

息子よ、お前もかぁー

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子どもの話。

 

今朝方、ゴソゴソと階段を降りていく音が聞こえる。

枕元のスマホを手に取る。

まだ5時前だ。

「トイレか??」

そう思い、しばし待つ。

「いや、上がってこない…トイレではないな」

眠気に抗いながらリビングへ向かう。

するとタブレットを片手に大好きな恐竜のYouTubeを見ようとしている息子に遭遇する。

 

 

バツの悪そうな息子。

「こら!なにしてるんだ?!」

普通ならそう叱るのかもしれない。

でも僕の脳裏には、小中学生時代の記憶が蘇ってくる。

 

 

布団の中で隠れてやった薄暗い画面の黄色いゲームボーイ

電池がもったいないから、充電しながら、ライトを装着してやっていた。

アレのせいで目がわかるなったんだろうなぁ…。

布団の中で寝たふりをし、親が寝静まった頃を見計らって出ていき、バレないよう暗闇の中イヤホンをつけてやったスーファミやプレステ(もちろん初代)。

チョコボにビビりながらプレイしたタクティクスや、回避率を無視して回避するビルバインは忘れられない思い出だ。

親が起きてきたときは画面を消して息を潜めて隠れていたんだけど、時々バレてえらい怒られたなぁ。

何度目かにバレて親にケーブルを隠された。

でも自分の小遣いでファミコンショップに行ってケーブルを買い、素知らぬ顔で夜中にプレイしていてバレたときのこと。

あのときは本当に子られたなぁ笑。

中学までは毎日毎日ハードなバスケの練習に取り組んでいたのに…ゲームへの情熱だけは途絶えずに夜な夜なやっていた。

アレだけやっていたから、高校でゲームへの情熱がなくなり、受験勉強に集中できたのかもしれない。

 

ゲームは大切なことを教えてくれた。

ゲームにハマることでしか得られないものがある。

これは同じ世代のゲームをやり込んだ人としか共有できないのだけれども。

 

僕がパソコンでの作業中に頻繁にCtrl+Cを押すのは、きっと洗濯物を干したり取り込んだらする母親に何度も大事なデータを消されたからなのだろう。

 

 

そして過去の僕と同じように、今5歳の息子が明け方に起きてYouTubeを観ようとしている笑。

これが血を受け継ぐということなのだろうか。

 

 

そう思うと叱るよりも、共感の気持ちが大きくなってくる。

「まだ早いから寝よう」

そう息子に声をかけ一緒に階段を上がりながら、一つ付け加える。

「パパも昔、夜中にゲームしてじぃじにめちゃくちゃ叱られたんだ」

受け継がれる小言

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子育ての話。

 

娘も息子もヒーターの前で丸まり、妻から「早く着替えなさい!」と叱られている。

そんな毎朝の光景を見ると自分の子どもの頃を思い出す。

寒い朝、同じようにヒーターの前に座り込み、なかなか着替えずに母親に叱られる。

いや、大人になった今もちょこちょこ妻に叱られている。

寒い朝のヒーターの前って、暖かくてちょっと足先を火傷しそうになるんだけど、なんであんなに離れられないんだろうか。

 

 

「ちょっと、ちゃんと話しを聞いてるの?」

「本を読んで(ゲームをして)いると、全然話を聞いていないんだから!」

これも耳にタコができるくらい繰り返し言われた。

そして今は僕と妻が同じように子どもたちに言っている。

いや、僕も妻に言われることがある。

子どもたちの叱られる姿を見て、我が子だなぁという気持ちと、僕の影響なのかという申し訳ないような諦めに似たような気持ちになる。

 

 

「靴を脱いだら揃えなさい」

上着は脱いだらかけなさい」

「脱いだ服はいす(の背もたれ)じゃなくて、ちゃんと片付けなさい」

「先にカバンの中の出すものを出しておきなさい」

これもよく言われた。

僕はいつ頃から自分の靴を揃えておくようになったのだろうか?と子どもに「靴を揃えて置くんだよ」と言いながら思う。友だちの家に遊びにいくときには、母親から「靴を揃えなさい」と言われていたのを思い出す。

脱いだ服はいまだに置きっぱなしが癖になっていて、子どもの手前、自分で気づいては寝室に運んでいる。

うちの子たちに「先にカバンの中の洗い物やプリントを出して」と言いつつ、忘れないうちに自分のカバンの中身も片付ける。

後回しにすると大抵忘れてしまう罠。

いや、そんなことを言いつつちょこちょこ忘れてしまう。その度に、「ほら、こうやって帰ってきてすぐにやらないと忘れちゃうからね」と反面教師っぷりを発揮する。

自分の父親に「保育園の時は帰ってからすぐに荷物を出していたのに…それから先は全然片付けをしなかった。お前は保育園の頃が一番賢かった」と今でもよく言われる。

 

「好きなものだけじゃなく、嫌いなものも食べなさい」

昔はご飯を残したら、鬼の顔をした母親に叱られ、「もったいないお化けさんごめんなさい」と半泣きになった僕と妹が謝罪してからキッチンのゴミ箱に捨てる謎の儀式が僕の実家にはあった。

令和の時代にもったいないお化けがまだいるのかどうかわからないが、今の我が家ではみじん切りやすりおろしなどの工夫と「唐揚げをおかわりしたいなら、この野菜を一口食べてから」という交渉とで、嫌いな野菜を食べてもらうよう取り組み中だ。

 

「遊ぶのはやることが終わってから」

そんなのはわかっている。わかっているのだ。

でもめんどくさくて後回しにしてしまい…後回しの罠にハマってしまうのだ。

だって遊ぶの楽しいもんね。

うちの子たちはまだ知らないけれど、夜中に隠れてやるゲームは最高に楽しい!

バレたら最強に叱られるのだが…。

 

 

そう、今我が子たちが言われている小言は、実は僕自身が両親から言われて育ってきた小言なのだとしみじみ思う。

受け継がれる小言。

まぁあの頃にあんなに厳しかった父母は、今では優しいじいじばぁばとなって我が子たちを大いに甘やかしているのには納得のいかない面もあるのだけれども(そんな関係の大切さもわかるのだけれども)。

 

 

そんなことを考えていると僕が妻から「もう、パパも早くヒーターから離れて着替えなさい!子どもたちが真似するから!」と注意される。

遠い未来には、我が子たちもこうやって注意するのだろうか。

それともいまだに注意される側なのだろうか。

不完全な人間として

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本の感想。

 

『死にたいけどトッポッキは食べたい(ペク・セヒ)』という本を読んだ。

 

この本は気分変調性障害(ひどい憂鬱症状を見せる主要憂鬱障害とは違い、軽い憂鬱症状が続く状態)にかかった私の治療記録をまとめたものだ。

繰り返される私と医師の対話。

それを読んでいて、大学一回生の頃の自分に自信のない「優しさコンプレック」だった自分の姿が重なる。

優しさコンプレックス - メガネくんのブログ

 

深刻なまでに自分と他人を比較して、自己否定をする自己肯定感の低い私。

友人関係に恐怖心を持っている私。

友だちの一挙手一投足に注目し、自分の評価を極端に気にする私。

些細なことで自分なんてダメなんだと絶望する私。

過去も現在も将来も、何事に対しても悲観的な私。

定期的に何もかも投げ出したい憂鬱な気持ちになる私。

自分の過去を見ているようで医師からの言葉が自分自身の胸にも突き刺さる。

…あなたは依存傾向が強いようですね。感情の両端はつながっているので、依存傾向が強い方ほど、依存を嫌います。例えば、恋人に依存している間は安定感を感じる一方で不満がたまりら恋人から解放されると自立性を得られる代わりに不安感と空虚感に苛まれる。

 

羨ましいというのはわかります。誰にでも理想というものはありますから。でも、人を羨むのと、自分を卑下するのは別の問題ですよね。今は憧れ程度で、それほど深刻ではないようですが。

 

……今のあなたはまるで自分の人生と過去が失敗だったみたいに思っている。でも、子供の頃の基準からすれば、今の自分はとても成功しているともいえるんです。

……

他人とばかり比べるんじゃなくて、自分自身と比べて欲しいですね。

 

診察室で面と向かい合って自分自身に言われているような想像が湧いてきて、羞恥心と悔しさと諦めに似た感情が混じり合ったようなんともいえないドロドロした気持ちになる。

 

 

でも本を読み進めるうちに、私の姿は、僕ではなく、これまで関わってきた子たちの姿に重なるようになる。

極端なゼロヒャク思考に対する医師の関わりは、感情の温度計で0度と100度から50度など温度を増やしているソーシャルスキルレーニングに似ている。

本人の思考の偏りというか癖を認知してもらう問答も、別の選択肢を提示する関わりも、物事を別の角度から考えるリフレーミングも、いろんな子たちと取り組んできたものだ。

あるキレやすい子と作った自分の説明書が思い浮かんでくる。

 

もしかしたら僕もこの医師のような役割を少し果たせたのかもしれない。

そう思うと少し救われた気がする。

こんなに冷静でもなく、子どもたちからの怒りや苛立ち、無気力感、憂鬱を受け止められてはこなかったけれど。

 

 

「【学校の本質は工場】です」というツイートを思い出す。

均質の子どもを6年間という
レーンに乗せて製造する工場

異質とされるものは排除され
同じような価値観の製品をつくる工場

社会が求める水準の人間を作り上げる
ただの工事
それが学校の本質

理想とされる型が確かにあるのかもしれない。

型の枠に入れば少し生きやすくなるのかもしれない。

でも、型の形そのままの人はいない。

不完全な形。

でも完全な人はいない。

 

人は誰でもみんな不完全な一人の人間であり、その人が同じく不完全な一人の人間である治療者と出会い、交わした対話の記録です。治療者として失敗や後悔は残りますが、人生はいつもそういうものだったのですから、著者と私、そして皆さんの人生だって、今よりもよくなる可能性があるのではないかと、自分を慰めています。どうか、多くの挫折で落胆され、不安の中で一日一日を乗り切っておられる、この本を読まれる読者の皆さん、昨日までは見過ごしていたけれど、自分が発しているかもしれない、もう一つの声に耳を傾けていただければと思います。死にたい時でも、トッポッキは食べたいというのが、私たちの気持ちなのですから。

 

 

僕自身も不完全な人間の一人として(そのことは嫌になるくらい自分でもよくわかっているのだけれども)

不完全な子たちと関わっていく。

それは子どもたちを完全な人間にするためではなく…

みんなに合わせて我慢しろという言葉の重し

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子どもの話。

 

先日子どもたちを連れてスケートへ行った。

初めてのスケートで、一周目はひざガクガクで手すりにしがみつきながら「もうやりたくない!帰る!」と言っていた長女。

まぁ友だちの声かけで再度チャレンジし出し、徐々に感覚を掴むと1番最後まで「もう一周行く!」と頑張っていた。

今まで達成してきたスイミングや自転車のコマなしや縄跳びやらの、コツコツ練習すればできるようになる経験のお陰でなのだろうか。

 

今回はそんな我が子の話ではなく、帰り際に隣の椅子から聞こえてきた会話について。

 

母「ママもっと滑りたいねんけど」

母「みんなで来てるのに、一人だけやりたくないってどう言うこと?!」

子「足痛いから…」

母「足痛くても、みんながやってるねんから我慢せなあかんやん」

母「ほんまワガママばっかり言わんといて!みんなに合わせないと!」

母「いっつもそうやってワガママばっかり言って…」

 

母親のワガママに対する不満の気持ちもわかるのだけれども。

そう言う場面を見ると、職業柄複雑な気持ちが湧き出てきてしまう。

 

  • 足が痛いのを我慢するべきなのだろうか?
  • 足が痛いからできないというのはワガママなのだろうか?
  • 痛みを緩和する対処、例えば靴のサイズを調整するとか、分厚い靴下を履くとかはできないだろうか?
  • みんなと同じことを必ずしもしないといけないのだろうか?
  • 一人だけ見学してはいけないのだろうか?
  • スケートがどんなものなのか、この子は見通しを持った上で来たのだろうか?
  • スケートに来ることを、この子自身が選択したり、納得していたのだろうか?
  • みんなに合わせるの「みんな」の中にこの子は含まれているのだろうか?多数派に合わせろという意味なのだろうか?
  • みんなの中にこの子が含まれているとしたら、他のみんなはなぜやりたくないこの子に合わせていないのだろうか?
  • 「ママもっと滑りたい」は母親のワガママではないのか?

 

…この辺りで止めておく。

が、母親の言っていることは一般論に含まれるだろうし、そういう考え方が一定あるのは僕自身もわかっている。

ただ我慢する力は、自分の要求が通らず本人が理不尽さを感じている場面を繰り返し経験する中で身につくものではないはずだ。

そうやって身につくのは我慢ではなく「諦め」だ。

もちろん全ての要求を通せと言っているわけではない。それでは「我慢」は身につかない。

 

要求が全面的に受け入れられる場面や、ほんの少しだけ受け入れられる場面、あるいは要求が通らない場面を通して、少しずつ自分の気持ちと折り合いをつけていく。そんな経験が必要なのだ。

満たされないものを人は他者に譲れない。

譲ってもらった経験が、相手に譲るに繋がっていく。

 

周りに合わせて我慢するというスキルが求められる場面は、長い人生の中で多いのかもしれない。

でも、その反面、みんなに合わせて自分を押し殺し過ぎて…そんな人はいないのだろうか。

どの親も子どものことを心配しているのはわかるのだが、自らが良かれと思ってかけた言葉が、いつしかその子を絡めとる囲いや重しになってしまうのでは…

 

スケート上での会話を聞いていて、「みんなに合わせて我慢するのではなく、自分のやりたいこと、できることから始めていけばいいのになぁ」と考える。

個別最適な学びが叫ばれる昨今なんだから。

 

 

特別支援教育という仕事柄、世の中の当たり前は当たり前ではないと考える瞬間がたくさんある。

「我慢しろ」というのは簡単だけれども、そうではなくいろんな環境や道具や進み方や関わり方の工夫をするのが僕の仕事だ。

 

そして子どもの人生の選択肢は、最終的にはその子自身が選ぶもののはずだ。

今ある常識がゴールではなく。

親が押さえつけたり、指示した通りに動かしたりするのがゴールではなく。

その子自身が選択肢を考えて選べるように。

 

最近読んだ本に書いてあった「教師の言うことは信じるな、そして親の言うことも信じるな、自分で考えろ」そんな言葉を伝えられる親でありたいなぁと教員で親の僕は思う。

思いつつ、この母親のように厳しい口調で叱りつけて反省する毎日なのだけれども。