子育ての話。
娘も息子もヒーターの前で丸まり、妻から「早く着替えなさい!」と叱られている。
そんな毎朝の光景を見ると自分の子どもの頃を思い出す。
寒い朝、同じようにヒーターの前に座り込み、なかなか着替えずに母親に叱られる。
いや、大人になった今もちょこちょこ妻に叱られている。
寒い朝のヒーターの前って、暖かくてちょっと足先を火傷しそうになるんだけど、なんであんなに離れられないんだろうか。
「ちょっと、ちゃんと話しを聞いてるの?」
「本を読んで(ゲームをして)いると、全然話を聞いていないんだから!」
これも耳にタコができるくらい繰り返し言われた。
そして今は僕と妻が同じように子どもたちに言っている。
いや、僕も妻に言われることがある。
子どもたちの叱られる姿を見て、我が子だなぁという気持ちと、僕の影響なのかという申し訳ないような諦めに似たような気持ちになる。
「靴を脱いだら揃えなさい」
「上着は脱いだらかけなさい」
「脱いだ服はいす(の背もたれ)じゃなくて、ちゃんと片付けなさい」
「先にカバンの中の出すものを出しておきなさい」
これもよく言われた。
僕はいつ頃から自分の靴を揃えておくようになったのだろうか?と子どもに「靴を揃えて置くんだよ」と言いながら思う。友だちの家に遊びにいくときには、母親から「靴を揃えなさい」と言われていたのを思い出す。
脱いだ服はいまだに置きっぱなしが癖になっていて、子どもの手前、自分で気づいては寝室に運んでいる。
うちの子たちに「先にカバンの中の洗い物やプリントを出して」と言いつつ、忘れないうちに自分のカバンの中身も片付ける。
後回しにすると大抵忘れてしまう罠。
いや、そんなことを言いつつちょこちょこ忘れてしまう。その度に、「ほら、こうやって帰ってきてすぐにやらないと忘れちゃうからね」と反面教師っぷりを発揮する。
自分の父親に「保育園の時は帰ってからすぐに荷物を出していたのに…それから先は全然片付けをしなかった。お前は保育園の頃が一番賢かった」と今でもよく言われる。
「好きなものだけじゃなく、嫌いなものも食べなさい」
昔はご飯を残したら、鬼の顔をした母親に叱られ、「もったいないお化けさんごめんなさい」と半泣きになった僕と妹が謝罪してからキッチンのゴミ箱に捨てる謎の儀式が僕の実家にはあった。
令和の時代にもったいないお化けがまだいるのかどうかわからないが、今の我が家ではみじん切りやすりおろしなどの工夫と「唐揚げをおかわりしたいなら、この野菜を一口食べてから」という交渉とで、嫌いな野菜を食べてもらうよう取り組み中だ。
「遊ぶのはやることが終わってから」
そんなのはわかっている。わかっているのだ。
でもめんどくさくて後回しにしてしまい…後回しの罠にハマってしまうのだ。
だって遊ぶの楽しいもんね。
うちの子たちはまだ知らないけれど、夜中に隠れてやるゲームは最高に楽しい!
バレたら最強に叱られるのだが…。
そう、今我が子たちが言われている小言は、実は僕自身が両親から言われて育ってきた小言なのだとしみじみ思う。
受け継がれる小言。
まぁあの頃にあんなに厳しかった父母は、今では優しいじいじばぁばとなって我が子たちを大いに甘やかしているのには納得のいかない面もあるのだけれども(そんな関係の大切さもわかるのだけれども)。
そんなことを考えていると僕が妻から「もう、パパも早くヒーターから離れて着替えなさい!子どもたちが真似するから!」と注意される。
遠い未来には、我が子たちもこうやって注意するのだろうか。
それともいまだに注意される側なのだろうか。