メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

こだわりを捨てたら楽になった話

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ハンガーの話

僕自身はASD(自閉スペクトラム症)の傾向があって、初対面の人にはA型と言われることが多い(血液型はB型で他所行きの顔のときやこだわりだしたときは頑張るけど普段はダラけるタイプだ)。

 

結婚当初は大らかな妻と家事スタイルがびみょーに一致せず、ちょっとイライラすることもあった。

例えばハンガーのかけるむき。

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僕はフックがすぐに外せるように向きを揃えたいのだけれども、妻はあまり気にしないタイプでフックの向きが反対になることもある。

ただ妻に対しては強要するのではなく、僕が勝手に直すという感じでやっている。

いつのまにかどっちが干すときも向きも揃うようになった。ありがとうございます笑。

 

もう1つハンガーに対するこだわりがあって、それは色を揃えること。

昔から色鉛筆や絵の具なんかはグラデーションが揃うように見本の通りに並べたいタイプの子どもだった。中学生の頃は友だちの家にあるジャンプや漫画を巻数順に並び替えていた。

 

妻が買ってきた子ども服用ハンガーはピンク色や黄色、紫色、水色、黄緑色の5色があった。

当然色を揃えたい僕は、それぞれの色ごとにハンガーを順番に並べた。

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1つでも揃っていないとイィーッとなって、正しい順番に並び替えていた。

 

でも、あるとき考えた。

「別にそこまでストレスに感じるな順番に並べなくてもよくないんじゃないか?」

「むしろバラバラに並べるようにすれば、揃っていないことがストレスにならないのでは?」

 

そうした結果、あえてバラバラに並べるようにした。

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もちろんストレスは消えた。

たまに揃いすぎてて、あえてバラバラにすることはあるけれど笑

 

運動会でのビシッと揃った演技やダンス、背中までピント伸びた姿勢、日体大の行進など綺麗に揃っていることを好ましいと思う傾向は、人間誰しもが多かれ少なかれ抱いているのだろう。

でも現実に綺麗に揃えるというのは大変なもの。

少なくとも片付けをしてから10分後にはまた床がオモチャだらけになっている我が家ではもはや不可能なものだ。

 

僕自身は支援学校で勤務する教員で、「きちんとしないと」と「まぁいいか」との間で日々揺れ動くことも多いのだけれども。

もちろんきちんとしないとという意識がないと世の中滅茶苦茶になってしまうのはいうまでもないことだ。

でも、この「バラバラでいいじゃん、むしろバラバラの方が映えてるんじゃね」的なものの見方は、教員や保護者の立場の人がぜひ持っていたら、子どもも大人も楽になれるのでおすすめですよ。

 

あーあー日本のどこかにー

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今週のお題「一気読みした漫画」から。

 

一気読みした漫画…そう聞いたら漫画自体よりも学生時代に通い詰めた漫画喫茶を思い出す。

 

僕は1時間に5〜6冊くらいは読めるので、3時間パックや5時間パック、ナイトパックを駆使しつつ、時間のないときは1時間一本勝負とかも使いながら漫画喫茶に通い詰めていた。

なぜあんなに生き急いでたんだろう笑

 

漫画喫茶に通い詰める傍らで、毎週コンビニではジャンプ、ヤングマガジン、スピリッツ、プレイボーイ、サンデー、マガジン、ヤングジャンプ、チャンピオン、コミックバンチ月刊ジャンプ、月刊マガジンを立ち読みしていたというのに…

あの情熱のほんの一部でも勉学に打ち込めていたら…

 

一気読みした漫画は数知れない。

ドラゴンボールスラムダンク幽☆遊☆白書ジョジョの奇妙な冒険るろうに剣心ダイの大冒険なんかの黄金時代ジャンプ作品はもちろん

鋼の錬金術師、ナルト、のだめカンタービレハンターハンター宇宙兄弟デスノートちはやふる犬夜叉NANA寄生獣、東京喰種、うしおととらテニスの王子様天使なんかじゃないBLEACHヒカルの碁マーマレード・ボーイ、ベルセルク、セスタス、アイシールド21、GANTZハチミツとクローバー聖☆お兄さん、金色のガッシュ!!、今日から俺は!!、レベルEあずまんが大王よつばとマイガールBLACK CATフルーツバスケット、MAJOR、GTOピアノの森、RAVE、家庭教師ヒットマンREBORN!、サラリーマン金太郎彼氏彼女の事情狂四郎2030、クローズ、WORST、ちょびっつ、×××HOLiC、カイジ、アカギ、遊戯王封神演義結界師WaqWaqワークワーク―、マギ、僕等がいた、バキ、美味しんぼBECK、ROOKIES、ろくでなしBLUES、虹ヶ原ホログラフ、ソラニンおやすみプンプン闇金ウシジマくんアフロ田中エアマスター東京大学物語、RAINBOW-二舎六房の七人、最終兵器彼女…とりあえず思い出したり、軽く検索して見た中で発見できたのはこのくらい。

もちろんまだまだある。

 

 

通貨の単位はペリカだし、良さそうな提案はだが断る

左手は添えるだけだし、果たし合いは一向に構わんッッだし、傘を持ってするのは雷の呼吸とかじゃなくて九頭龍閃とアバンストラッシュだ。

嫌いな漫画のオチは夢オチだし、悪には悪の帝王が必要だ。

 

 

そしてそんな漫画喫茶漬けの日々で思い出すときに、あの頃何故か狂ったように流れていた「あーあー日本のーどこかにーあたしをーまってるーひとがいるー」のメロディが脳内で再生される。

 

 

そして最近でもドラゴンボール超ダイの大冒険リメイクなどであの頃の漫画の知識が子どもたちと関わる仕事に生きるときがある。

そして話し出すと漫画への想いは溢れてくる。

あの頃一気に読んだ漫画たちは、僕の血潮となって今も流れているのだ。

 

 

 

 

お兄ちゃんとお姉ちゃんの子育て

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うちの夫婦はどちらも一番上の子だった。

僕は2人兄弟のお兄ちゃん。

妻は4人姉兄妹弟のお姉ちゃん。

 

妻も僕も物心ついたときから「お姉ちゃんだから」「お兄ちゃんだから」と我慢させられることが当たり前だった。

 

別にそれだからといって妹や弟のことが嫌いなわけじゃない。

きっと1番上だからこそ得た恩恵もあるんだろう。

それでも僕自身は「お兄ちゃんなんだから」という言葉にはいい思い出がない。

幼い頃には妹が売ってきた喧嘩を買ったら、お兄ちゃんという理由だけで父親に叱られ、家の外に放り出されたこともある。

1番目というだけでやりたいことを伝えたときなど、両親と衝突することが多い。

逆にうちの妹なんかは典型的な2番目タイプで、僕と両親の衝突を見て参考にし、器用に立ち回っていた。

 

今の僕たちには姉弟の2人の子どもがいる。

しっかり者のお姉ちゃんとちゃっかり者の弟くんといった感じ。

弟くんはうちの妹と同じ典型的な2番目タイプで、お姉ちゃんが叱られているのを見るとすぐに空気を読み、叱られないように立ち振る舞う。先日は、姉と二人で遊んで危なかったところを注意され、否定するように手を振り「ちゃうちゃう、ねぇねが、ねぇねが」とやっているので思わず動画に撮ってしまった笑

お姉ちゃんに我慢してもらう場面がないわけではない。

でも「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい!」とは極力言わないようにしている。

どちらかというと弟に譲ってあげて欲しいときには話をして譲ってあげて欲しいことを伝えるし、本人が絶対嫌なときは強要はしないし、譲ってくれたときには「ありがとう」と伝えるようにしている。

おもちゃの取り合いなんかも、どっちのおもちゃなのかを確認して、相手がいいよと言ってから借りるようなルールにしている。

 

お姉ちゃんは最初は親や祖父母、叔父叔母からの愛情を独占していたからかどちらかというと独占欲が強く、弟が勝手に自分のおもちゃで遊んでいるのをみて「それねえねのー!」と怒ったりする。弟が「貸して」とお願いすると大抵気前よく貸してくれるが、お姉ちゃんが弟のを勝手に(こっそり)遊んでいるときは「貸してって言ったの?」と指摘はする。あと弟にあげたはずのおもちゃの所有権を訴えたりするので、それはちゃうやろと話したりもする。

やっぱりお姉ちゃんは叱られがちだ笑

 

今は弟くんがお姉ちゃん大好きで「ねえねー」と追いかけたら真似したりといった感じ。お姉ちゃんはそれが嬉しいときもあるし、少々めんどくさいときもあるが好きは好きでなにかと面倒を見てくれている。

 

この先2人の関係がどうなっていくのかはわからない。

特に思春期に入るとトラブルは絶対あるんだろうけれど…。

振り返れば「あのときお父さんが…お母さんが…」なんて言われることもあるだろうけれど…。

まぁぼちぼちやっていってくれたらなぁ。

もし3人目ができたらどんな化学変化がおきるのかも楽しみだ。

それは老いのせいか、子や孫の成長所以なのか…

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美味しんぼ刃牙の話。

美味しんぼ(1) (ビッグコミックス)
 
範馬刃牙(1) (少年チャンピオン・コミックス)
 

 

美味しんぼの中で誰が一番好きかと聞かれたら、迷いなく「海原雄山」と答えるだろう。

 

でも僕が好きなのは初期の頃の人を人とも思わない、美食と芸術のために生き、罵詈雑言を浴びせる雄山だ。ツンデレなところもいい。

この大馬鹿もの!この皿は古備前の名品だぞ! それを割ってしまいおって! この皿一枚ほどの価値のないおまえが! 死ね!死んで償え!

 

何だこの器はっ!! よくもこんな器をこの海原雄山の前に出したなっ!! こんな器で料理が食えるか、不愉快だっ!!

 

なんという混み方だ! 必要もない連中が車に乗るからだ!! 馬鹿どもに車を与えるなっ!

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ところが最近はどうだ、丸くなった雄山なんて見れたもんじゃ無い。

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刃牙の勇次郎もそうだ。

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なぜ雷にうたれるくらいとんがっていたはずの勇次郎がこうである。

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エア夜食てなんやねん。

 

 

この年を経るごとに丸くなって最終的には良い人っぽくなるのはなんなんだろうか。

問答無用で僕を家の外に放り出した父親は、「もーしゃーないやっちゃなー」と孫の癇癪に笑って付き合うし、ご飯を残すたびにゴミ箱の前に僕と妹を連れて行き「もったいないお化けさんに謝りなさい!!」と謝罪を強要していた母親は孫が苦手な食材を出さずお残しを寛容に受け入れる。

 

そう、そうして丸くなった彼らが再び鋭く尖ることはないのだろう。

それは悲しい…

(それとは別にキン肉マン2世で実は正義超人も見えないところでダーティーな行為をしてたとか描かれるのもなんだかなだけれども)

 

なんだかよくわからないけど以上で。

埋まることのない食の格差

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同僚との話から。

 

僕の生まれ育った町は、残念ながらあまり給食が美味しくなかったそうな。

自校炊飯ではなく、給食センターから配送されるあの和紙みたいなやつに包まれ、蒸れに蒸れた白米。そして悪魔のメニュー、エビチリ。

そもそも小学校の給食は、嫌いなエビが出た日をいかにして乗り切るかみたいなところがあったので、味はそこまで覚えていない。

好き嫌いがあって何が悪いのか - メガネくんのブログ

 

大学になると違う町や県外出身者の話を聞き、かの有名な揚げパンや豪華なデザート、特産物を使った美味しい給食があることを知った。

小学校のシチュエーション風居酒屋で見た懐かしのメニューを見ても冷凍みかんとカレー以外は見たことがなかった。

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正直、美味しかった給食で盛り上がるみんなが羨ましかった。

 

大学卒業後、働き出したのが支援学校というのもあって、10年ぶりに給食と再開した。

初日のメニューはエビフライカレーだった。

頑張って残さずに食べた。

自分が生まれ育った町の学校だったので、メニューにそこまで大きな違いはなかったけれども、味はよくなっているように思った。

しかし、ほかの町の出身者は「自分の町の給食の方が美味しかった」と繰り返す。

 

味の件もそうだが、僕が働き始めた当時の学校では、地区によってメニューが決まっており、また小学校までしか給食がなかったこともあって、支援学校の中学部・高等部ではカロリーを白米で補うという方針がとられていた。

特に2校目の盲学校は高等部だったこともあり、おかずは白米に比べて少なく、残念なときには金時豆の煮物が豆3粒だけといった感じだ。そして若いからと盛られる圧倒的白米。

ちなみに盲学校にあった寄宿舎のメニューは予算の関係もありボリューミーで美味しかった。

 

それが数年前、支援学校の管轄変更に伴い、我が盲学校も自校炊飯となった。

メニューも刷新され、おかずの量も増えた。

味も美味しくなった。そう思っていた。

だが、他支援学校との交流で相手校の給食を食べて思った。「あれ?これめちゃめちゃ美味しくないか?」と。

そう、他の支援学校の方が美味かったのだ。

交流に行った子どもたちも「来年もここで給食を食べたい」と言い出す始末(栄養士さん、調理員さん、すいません…)。

 

時は流れ、転勤した現在。

エビが出てくる以外は給食に対する不満はない。今の給食はかつての交流先の支援学校に勝るとも劣らない。そう思っていた。

 

しかし、帰り道で同僚から「ソフト麺」が食べたいという話になり、他県のメニューの豊富さや美味しさ、「正直地元の給食の方が美味しかった」という発言に戦慄を禁じ得ない。

 

なぜそんなに格差があるのか。

そして噂でしか聞かない揚げパンや岡山では4種類もあるというソフト麺を食べてみたい、いや食べたらまた嫉妬してしまうのではないかという葛藤に今苛まれている。

 

ただ言えるのは給食は、値段も栄養価も大変ありがたく毎日お世話になっていて感謝しかない。栄養士さんと調理員さん、ありがとうございます。

でもちょっとソフト麺食べてみたいです笑

 

 

 

頑張っている子を応援したいという考えの死角

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本の話。

 

『どうしても頑張れない人たち(宮口 幸治)」という本を読んで考えたこと。

 

宮口先生のケーキの切れない非行少年たちの続編

前作の感想はこちら

『ケーキの切れない非行少年たち』人間はなかなか相手の立場に立って考えられない - メガネくんのブログ

『ケーキの切れない非行少年たち』自尊感情はそれほど必要なのだろうか - メガネくんのブログ

 

頑張っている子を応援したいと自然に思う人は多いだろう。

オリンピックでも、勉強でも、近所で開かれるマラソン大会でも、多くの人が他人の頑張りや努力を応援し、感動を得る。むしろ感動を得るために頑張っている人を応援しに行く人もいる。

個人的な話だけれど、初めて参加したマラソン大会で「もう走りたくない」と思いながら気力を振り絞って走っているのに、沿道から「頑張れ!頑張れ!」と連呼されて殺意を覚えたことがある笑。

 

我が事ではないのに、他人の頑張りに感動する。

それは頑張っている人を応援したいという気持ちに繋がる。

それ自体を否定するつもりはない。

ただ、その理屈でいうと頑張れない子、結果を出さない子はなかなか評価をされない。

 

当たり前だけれども人には個人差がある。

「特に勉強しなくてもテストで満点が取れる子」

「練習していないのに陸上部よりも早く走れる子」

がいる一方で、

「何度繰り返しても九九が覚えられない子」

「泣きながら練習しても逆上がりができない子」

がいる。

当然スポットライトが当たるのは前者だ。

 

結果への影響は、努力したかどうかよりも個人の持っている能力によるかもしれない。

100m走のタイムを10秒台から0.1秒縮めるのと20秒台から3秒縮めるのとどちらの方が大変なのかはわからないけれど(もちろんその人によるのだろうけれど)、20秒台の子が情熱大陸で取り上げられることはまずない。

 

きっとその裏には「努力は報われる」という努力信仰や精神論がまだまだあり、それは「結果が出ない=努力していない」という図式に繋がるのだろう。

でも個人的な意見をいうなら、大抵の人は結果が出るから頑張れるのであって、結果が出ないのに努力し続けられる人は少ない。偉人と呼ばれる人の中にはそんな困難な歩みを続けた人もいるが、その影には志半ばで倒れた、あるいは一番になれなかった人の屍が山のように積み重なっているはずだ。

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僕は支援学校で働いている。

そこには頑張れない子、頑張ることから逃げてしまう子ももちろんいる。

「もっと頑張れば…」という思いがないわけではないが、それを伝えたところで何かが変わることはない。お互いに不満が溜まるだけだ。職員室で「なんであの子は…」という言葉を聞き、「まぁそれがあの子ですから」と返答する。

でも、そんな子どもたちを見ているからこそ、彼らなりの頑張りや努力が報われる場面、世間からはそんな程度のことでと言われるかもしれないが、僕たちはそれを見逃さないようにしている。

努力と結果はイコールではないのだから。

悪には悪のヒーローが必要なように、頑張れない子には頑張れないことをわかった上で、それでも見守り評価する人が必要なのだろう。

 

前作にもあったが、そんな頑張れない子たちも頑張れる瞬間がある。

鬱病で引きこもりだけれど、好きなアイドルのコンサートには、新幹線で外出し、SNS上で知り合った同じファンの家に泊めてもらう」

「授業は集中できないのに、フォートナイトなら3時間以上ノンストップでプレイできる」

大抵の人は「なぜいつもこんななのに●●できるんだ」と思うのだろう。

 

でも一人ひとり頑張れるものは違うし、やる気スイッチの場所は違う。

その子のやる気スイッチを探したり、上記の場面からやる気スイッチに繋がるパターンを想像して試してみたり、そういう支援の在り方があってもいいんじゃないだろうか。

 

願わくば、そういったできない子への視点が広まり、もう少し楽に生きられる世の中になりますように。

10年前の自分を思い出す『夢追いかけて』

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本の感想。

 

『夢追いかけて(河合 純一)』という本を読んだ。

 

筆者は全盲の新任社会科教員で、アトランタパラリンピック競泳100メートル、50メートル自由形の金メダリスト。

 

盲学校で働いていた僕は、「全盲の人がこんなことをできるんだ?!」などど思うことはない。見えない人が魚を捌いたり、手引きする僕の腕をぐいぐい押しながら「もっと早く行って!」と言われたり、自分のマラソンに向けて2時間ほど一緒に走ったりをしたことがあるのだ。

それよりもタッピングなしで水泳練習していたエピソードの方が驚きだ。頭がプールサイドの壁に激突しないように水をかく回数を覚えておけとか…恐ろしい。

 

そんな見えないが故のエピソードよりも、同じ社会科教員として10年ほど前の盲学校に赴任し、戸惑いながら世界史の授業プリントづくりに追われていたあの頃を思い出す。

 

覚えるのではなく考える社会科の授業づくり、自分も研修や勉強会に参加して考えた。

 

河合さんがエジプト人の衣装を着て登場したシーンは、弓矢を教えるために即興で作った経験を思い出した。磨製石器をグラウンドの石を削って、子どもたちと一緒につくったこともあったなぁ。

 

「覚える歴史学習」ではなく、「調べる、考える、そして自分の考えをもつ学習」となるようにで河合さんが苦悩される姿にも親近感が湧く。

塾講師で日本史を教えていて、教育実習へいった時期には「わかりやすくポイントを押さえて説明する授業」が大切なんだと思っていた。

もちろんその経験や説明する力が今の僕を支えてくれているんだけれど、それだけでなく、「子どもたちに授業を通してどんな力をつけて欲しいのか」を自分が持った上で、授業を組み立てていかないといけないんだと今は思う。

それに向けて試行錯誤していた自分を思い出す。

 

交換日記「かがやきノート」で交流する様子は、初任者の頃に始めた振り返りジャーナルの取り組みを思い出す。

今も振り返りノートという形で毎授業続けている。

いつの間にか、生きる力から主体的、対話的で深い学びにキャッチコピーは変わったけれど、あの時期にもがいて考えた自分なりの答えは今も自分を支える大事な軸だ。

盲学校を出て、知的の支援学校で国数社理英を教えることになった今も、その積み重ねがあるから進んでいけるんだろうなぁ(準備はめちゃめちゃ大変だけれども笑)

 

これから十年まるで回るルーレット

同じ目は無い 同じ明日はないって言うぜ

その先に立つ 君には 何が映る

この先に待つ 日々には 何が続く

日に日に自分なりに一日

未来の俺に誇れるもの 磨きに

理想の地にいる君と互いに長い十年後の自分探す旅に

 

ケツメイシの手紙〜未来の歌詞が頭の中で流れる。

勇敢に戦ってきた十年を振りかえる。

これからの十年に思いを馳せる。

 

さぁ明日からもぼちぼち頑張ろう。