本の感想。
『夢追いかけて(河合 純一)』という本を読んだ。
筆者は全盲の新任社会科教員で、アトランタパラリンピック競泳100メートル、50メートル自由形の金メダリスト。
盲学校で働いていた僕は、「全盲の人がこんなことをできるんだ?!」などど思うことはない。見えない人が魚を捌いたり、手引きする僕の腕をぐいぐい押しながら「もっと早く行って!」と言われたり、自分のマラソンに向けて2時間ほど一緒に走ったりをしたことがあるのだ。
それよりもタッピングなしで水泳練習していたエピソードの方が驚きだ。頭がプールサイドの壁に激突しないように水をかく回数を覚えておけとか…恐ろしい。
そんな見えないが故のエピソードよりも、同じ社会科教員として10年ほど前の盲学校に赴任し、戸惑いながら世界史の授業プリントづくりに追われていたあの頃を思い出す。
覚えるのではなく考える社会科の授業づくり、自分も研修や勉強会に参加して考えた。
河合さんがエジプト人の衣装を着て登場したシーンは、弓矢を教えるために即興で作った経験を思い出した。磨製石器をグラウンドの石を削って、子どもたちと一緒につくったこともあったなぁ。
「覚える歴史学習」ではなく、「調べる、考える、そして自分の考えをもつ学習」となるようにで河合さんが苦悩される姿にも親近感が湧く。
塾講師で日本史を教えていて、教育実習へいった時期には「わかりやすくポイントを押さえて説明する授業」が大切なんだと思っていた。
もちろんその経験や説明する力が今の僕を支えてくれているんだけれど、それだけでなく、「子どもたちに授業を通してどんな力をつけて欲しいのか」を自分が持った上で、授業を組み立てていかないといけないんだと今は思う。
それに向けて試行錯誤していた自分を思い出す。
交換日記「かがやきノート」で交流する様子は、初任者の頃に始めた振り返りジャーナルの取り組みを思い出す。
今も振り返りノートという形で毎授業続けている。
いつの間にか、生きる力から主体的、対話的で深い学びにキャッチコピーは変わったけれど、あの時期にもがいて考えた自分なりの答えは今も自分を支える大事な軸だ。
盲学校を出て、知的の支援学校で国数社理英を教えることになった今も、その積み重ねがあるから進んでいけるんだろうなぁ(準備はめちゃめちゃ大変だけれども笑)
これから十年まるで回るルーレット
同じ目は無い 同じ明日はないって言うぜ
その先に立つ 君には 何が映る
この先に待つ 日々には 何が続く
日に日に自分なりに一日
未来の俺に誇れるもの 磨きに
理想の地にいる君と互いに長い十年後の自分探す旅に
ケツメイシの手紙〜未来の歌詞が頭の中で流れる。
勇敢に戦ってきた十年を振りかえる。
これからの十年に思いを馳せる。
さぁ明日からもぼちぼち頑張ろう。