メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

アレが再開/完結するまでは…と思いつつ

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今週のお題「卒業したいもの」について。

 

「卒業したいもの」と聞いて真っ先に浮かんできたのが週刊少年ジャンプだ。

もう端から端まで何度も読み返すことはないのだけれども、未だに惰性で買い続けている。

 

僕がジャンプに出会ったのは小学3年生の頃だろうか。

同じく惰性でジャンプを購入していた父親が、部屋に置いているジャンプをこっそり読み耽った。

確かジョジョは3部で、ドラゴンボール幽☆遊☆白書が連載していた。

間もなく父はジャンプの購読をやめてしまうが、僕は変わらずジャンプを購読している友だちの家へ行き、文字通り隅から隅まで読み返した。もう今はジャンプ情報局の投稿作品を見てあんなに笑い転げることはないんだろう。

大人になることはちょっと悲しいことだ。

 

高校生になるとコンビニで立ち読みする日々が始まった。

月曜日はジャンプとヤンマガ、スピリッツ

火曜日はプレイボーイとスーパージャンプ、時々月ジャンと月刊マガ

水曜日はサンデーとマガジン

木曜日はヤンジャン

金曜日はヤングアニマル

あの頃は自分は散々立ち読みしていたのに、同じように周囲で立ち読みしているサラリーマンに憤りを感じていた。

「稼いでいるんだから立ち読みせずに買えよ!」と

そのルーティンは大学生でも社会人になってからも続いた。

特に大学の頃は近くのコンビニへ行くと見知った顔が立ち読みしていたし、その頃絶頂期を迎えていた刃牙のネタバレ合戦を毎週のようにしていた。

 

働き出してからは、社会人の現実を思い知った。そう、立ち読みしている漫画を全部買うのは無理だと。

申し訳程度に週刊少年ジャンプだけは購読するようにした。

「コンビニさん。全部は無理だけれど、ジャンプは買うから他の立ち読みは見逃してね」

声に出したことのない僕のこの想いは、店長に届いていたのだろうか…

 

その時から惰性でジャンプを買い続けている。

BLEACHNARUTO、トリコ、こち亀太臓もて王サーガネウロボーボボソワカ、アイシールド、BLACK CAT、PSYEN、スケットダンス、いろんな漫画との別れがあった。

僕の中の全盛期から残っているのはワンピースとHUNTER×HUNTERくらいだろうか。

 

ワンピースが完結するまでは、

そしてHUNTER×HUNTERが再開するまでは、

そんな卒業への思いがある。

 

 

ところが最近小1の娘が僕の買って帰るジャンプを読み始めた。

アオのハコや夜桜さんちの大作戦、ロボコなんかを読んでは、僕にネタバレしてくる。

その嬉々としてジャンプを読み耽る姿に、過去にジャンプを買って帰ってきた父親はこんな気持ちだったのかと考える。

 

どうやら考えていた卒業はまだ少し先になりそうだ。

息子よ、お前もかぁー

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子どもの話。

 

今朝方、ゴソゴソと階段を降りていく音が聞こえる。

枕元のスマホを手に取る。

まだ5時前だ。

「トイレか??」

そう思い、しばし待つ。

「いや、上がってこない…トイレではないな」

眠気に抗いながらリビングへ向かう。

するとタブレットを片手に大好きな恐竜のYouTubeを見ようとしている息子に遭遇する。

 

 

バツの悪そうな息子。

「こら!なにしてるんだ?!」

普通ならそう叱るのかもしれない。

でも僕の脳裏には、小中学生時代の記憶が蘇ってくる。

 

 

布団の中で隠れてやった薄暗い画面の黄色いゲームボーイ

電池がもったいないから、充電しながら、ライトを装着してやっていた。

アレのせいで目がわかるなったんだろうなぁ…。

布団の中で寝たふりをし、親が寝静まった頃を見計らって出ていき、バレないよう暗闇の中イヤホンをつけてやったスーファミやプレステ(もちろん初代)。

チョコボにビビりながらプレイしたタクティクスや、回避率を無視して回避するビルバインは忘れられない思い出だ。

親が起きてきたときは画面を消して息を潜めて隠れていたんだけど、時々バレてえらい怒られたなぁ。

何度目かにバレて親にケーブルを隠された。

でも自分の小遣いでファミコンショップに行ってケーブルを買い、素知らぬ顔で夜中にプレイしていてバレたときのこと。

あのときは本当に子られたなぁ笑。

中学までは毎日毎日ハードなバスケの練習に取り組んでいたのに…ゲームへの情熱だけは途絶えずに夜な夜なやっていた。

アレだけやっていたから、高校でゲームへの情熱がなくなり、受験勉強に集中できたのかもしれない。

 

ゲームは大切なことを教えてくれた。

ゲームにハマることでしか得られないものがある。

これは同じ世代のゲームをやり込んだ人としか共有できないのだけれども。

 

僕がパソコンでの作業中に頻繁にCtrl+Cを押すのは、きっと洗濯物を干したり取り込んだらする母親に何度も大事なデータを消されたからなのだろう。

 

 

そして過去の僕と同じように、今5歳の息子が明け方に起きてYouTubeを観ようとしている笑。

これが血を受け継ぐということなのだろうか。

 

 

そう思うと叱るよりも、共感の気持ちが大きくなってくる。

「まだ早いから寝よう」

そう息子に声をかけ一緒に階段を上がりながら、一つ付け加える。

「パパも昔、夜中にゲームしてじぃじにめちゃくちゃ叱られたんだ」

受け継がれる小言

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子育ての話。

 

娘も息子もヒーターの前で丸まり、妻から「早く着替えなさい!」と叱られている。

そんな毎朝の光景を見ると自分の子どもの頃を思い出す。

寒い朝、同じようにヒーターの前に座り込み、なかなか着替えずに母親に叱られる。

いや、大人になった今もちょこちょこ妻に叱られている。

寒い朝のヒーターの前って、暖かくてちょっと足先を火傷しそうになるんだけど、なんであんなに離れられないんだろうか。

 

 

「ちょっと、ちゃんと話しを聞いてるの?」

「本を読んで(ゲームをして)いると、全然話を聞いていないんだから!」

これも耳にタコができるくらい繰り返し言われた。

そして今は僕と妻が同じように子どもたちに言っている。

いや、僕も妻に言われることがある。

子どもたちの叱られる姿を見て、我が子だなぁという気持ちと、僕の影響なのかという申し訳ないような諦めに似たような気持ちになる。

 

 

「靴を脱いだら揃えなさい」

上着は脱いだらかけなさい」

「脱いだ服はいす(の背もたれ)じゃなくて、ちゃんと片付けなさい」

「先にカバンの中の出すものを出しておきなさい」

これもよく言われた。

僕はいつ頃から自分の靴を揃えておくようになったのだろうか?と子どもに「靴を揃えて置くんだよ」と言いながら思う。友だちの家に遊びにいくときには、母親から「靴を揃えなさい」と言われていたのを思い出す。

脱いだ服はいまだに置きっぱなしが癖になっていて、子どもの手前、自分で気づいては寝室に運んでいる。

うちの子たちに「先にカバンの中の洗い物やプリントを出して」と言いつつ、忘れないうちに自分のカバンの中身も片付ける。

後回しにすると大抵忘れてしまう罠。

いや、そんなことを言いつつちょこちょこ忘れてしまう。その度に、「ほら、こうやって帰ってきてすぐにやらないと忘れちゃうからね」と反面教師っぷりを発揮する。

自分の父親に「保育園の時は帰ってからすぐに荷物を出していたのに…それから先は全然片付けをしなかった。お前は保育園の頃が一番賢かった」と今でもよく言われる。

 

「好きなものだけじゃなく、嫌いなものも食べなさい」

昔はご飯を残したら、鬼の顔をした母親に叱られ、「もったいないお化けさんごめんなさい」と半泣きになった僕と妹が謝罪してからキッチンのゴミ箱に捨てる謎の儀式が僕の実家にはあった。

令和の時代にもったいないお化けがまだいるのかどうかわからないが、今の我が家ではみじん切りやすりおろしなどの工夫と「唐揚げをおかわりしたいなら、この野菜を一口食べてから」という交渉とで、嫌いな野菜を食べてもらうよう取り組み中だ。

 

「遊ぶのはやることが終わってから」

そんなのはわかっている。わかっているのだ。

でもめんどくさくて後回しにしてしまい…後回しの罠にハマってしまうのだ。

だって遊ぶの楽しいもんね。

うちの子たちはまだ知らないけれど、夜中に隠れてやるゲームは最高に楽しい!

バレたら最強に叱られるのだが…。

 

 

そう、今我が子たちが言われている小言は、実は僕自身が両親から言われて育ってきた小言なのだとしみじみ思う。

受け継がれる小言。

まぁあの頃にあんなに厳しかった父母は、今では優しいじいじばぁばとなって我が子たちを大いに甘やかしているのには納得のいかない面もあるのだけれども(そんな関係の大切さもわかるのだけれども)。

 

 

そんなことを考えていると僕が妻から「もう、パパも早くヒーターから離れて着替えなさい!子どもたちが真似するから!」と注意される。

遠い未来には、我が子たちもこうやって注意するのだろうか。

それともいまだに注意される側なのだろうか。

不完全な人間として

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本の感想。

 

『死にたいけどトッポッキは食べたい(ペク・セヒ)』という本を読んだ。

 

この本は気分変調性障害(ひどい憂鬱症状を見せる主要憂鬱障害とは違い、軽い憂鬱症状が続く状態)にかかった私の治療記録をまとめたものだ。

繰り返される私と医師の対話。

それを読んでいて、大学一回生の頃の自分に自信のない「優しさコンプレック」だった自分の姿が重なる。

優しさコンプレックス - メガネくんのブログ

 

深刻なまでに自分と他人を比較して、自己否定をする自己肯定感の低い私。

友人関係に恐怖心を持っている私。

友だちの一挙手一投足に注目し、自分の評価を極端に気にする私。

些細なことで自分なんてダメなんだと絶望する私。

過去も現在も将来も、何事に対しても悲観的な私。

定期的に何もかも投げ出したい憂鬱な気持ちになる私。

自分の過去を見ているようで医師からの言葉が自分自身の胸にも突き刺さる。

…あなたは依存傾向が強いようですね。感情の両端はつながっているので、依存傾向が強い方ほど、依存を嫌います。例えば、恋人に依存している間は安定感を感じる一方で不満がたまりら恋人から解放されると自立性を得られる代わりに不安感と空虚感に苛まれる。

 

羨ましいというのはわかります。誰にでも理想というものはありますから。でも、人を羨むのと、自分を卑下するのは別の問題ですよね。今は憧れ程度で、それほど深刻ではないようですが。

 

……今のあなたはまるで自分の人生と過去が失敗だったみたいに思っている。でも、子供の頃の基準からすれば、今の自分はとても成功しているともいえるんです。

……

他人とばかり比べるんじゃなくて、自分自身と比べて欲しいですね。

 

診察室で面と向かい合って自分自身に言われているような想像が湧いてきて、羞恥心と悔しさと諦めに似た感情が混じり合ったようなんともいえないドロドロした気持ちになる。

 

 

でも本を読み進めるうちに、私の姿は、僕ではなく、これまで関わってきた子たちの姿に重なるようになる。

極端なゼロヒャク思考に対する医師の関わりは、感情の温度計で0度と100度から50度など温度を増やしているソーシャルスキルレーニングに似ている。

本人の思考の偏りというか癖を認知してもらう問答も、別の選択肢を提示する関わりも、物事を別の角度から考えるリフレーミングも、いろんな子たちと取り組んできたものだ。

あるキレやすい子と作った自分の説明書が思い浮かんでくる。

 

もしかしたら僕もこの医師のような役割を少し果たせたのかもしれない。

そう思うと少し救われた気がする。

こんなに冷静でもなく、子どもたちからの怒りや苛立ち、無気力感、憂鬱を受け止められてはこなかったけれど。

 

 

「【学校の本質は工場】です」というツイートを思い出す。

均質の子どもを6年間という
レーンに乗せて製造する工場

異質とされるものは排除され
同じような価値観の製品をつくる工場

社会が求める水準の人間を作り上げる
ただの工事
それが学校の本質

理想とされる型が確かにあるのかもしれない。

型の枠に入れば少し生きやすくなるのかもしれない。

でも、型の形そのままの人はいない。

不完全な形。

でも完全な人はいない。

 

人は誰でもみんな不完全な一人の人間であり、その人が同じく不完全な一人の人間である治療者と出会い、交わした対話の記録です。治療者として失敗や後悔は残りますが、人生はいつもそういうものだったのですから、著者と私、そして皆さんの人生だって、今よりもよくなる可能性があるのではないかと、自分を慰めています。どうか、多くの挫折で落胆され、不安の中で一日一日を乗り切っておられる、この本を読まれる読者の皆さん、昨日までは見過ごしていたけれど、自分が発しているかもしれない、もう一つの声に耳を傾けていただければと思います。死にたい時でも、トッポッキは食べたいというのが、私たちの気持ちなのですから。

 

 

僕自身も不完全な人間の一人として(そのことは嫌になるくらい自分でもよくわかっているのだけれども)

不完全な子たちと関わっていく。

それは子どもたちを完全な人間にするためではなく…

みんなに合わせて我慢しろという言葉の重し

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子どもの話。

 

先日子どもたちを連れてスケートへ行った。

初めてのスケートで、一周目はひざガクガクで手すりにしがみつきながら「もうやりたくない!帰る!」と言っていた長女。

まぁ友だちの声かけで再度チャレンジし出し、徐々に感覚を掴むと1番最後まで「もう一周行く!」と頑張っていた。

今まで達成してきたスイミングや自転車のコマなしや縄跳びやらの、コツコツ練習すればできるようになる経験のお陰でなのだろうか。

 

今回はそんな我が子の話ではなく、帰り際に隣の椅子から聞こえてきた会話について。

 

母「ママもっと滑りたいねんけど」

母「みんなで来てるのに、一人だけやりたくないってどう言うこと?!」

子「足痛いから…」

母「足痛くても、みんながやってるねんから我慢せなあかんやん」

母「ほんまワガママばっかり言わんといて!みんなに合わせないと!」

母「いっつもそうやってワガママばっかり言って…」

 

母親のワガママに対する不満の気持ちもわかるのだけれども。

そう言う場面を見ると、職業柄複雑な気持ちが湧き出てきてしまう。

 

  • 足が痛いのを我慢するべきなのだろうか?
  • 足が痛いからできないというのはワガママなのだろうか?
  • 痛みを緩和する対処、例えば靴のサイズを調整するとか、分厚い靴下を履くとかはできないだろうか?
  • みんなと同じことを必ずしもしないといけないのだろうか?
  • 一人だけ見学してはいけないのだろうか?
  • スケートがどんなものなのか、この子は見通しを持った上で来たのだろうか?
  • スケートに来ることを、この子自身が選択したり、納得していたのだろうか?
  • みんなに合わせるの「みんな」の中にこの子は含まれているのだろうか?多数派に合わせろという意味なのだろうか?
  • みんなの中にこの子が含まれているとしたら、他のみんなはなぜやりたくないこの子に合わせていないのだろうか?
  • 「ママもっと滑りたい」は母親のワガママではないのか?

 

…この辺りで止めておく。

が、母親の言っていることは一般論に含まれるだろうし、そういう考え方が一定あるのは僕自身もわかっている。

ただ我慢する力は、自分の要求が通らず本人が理不尽さを感じている場面を繰り返し経験する中で身につくものではないはずだ。

そうやって身につくのは我慢ではなく「諦め」だ。

もちろん全ての要求を通せと言っているわけではない。それでは「我慢」は身につかない。

 

要求が全面的に受け入れられる場面や、ほんの少しだけ受け入れられる場面、あるいは要求が通らない場面を通して、少しずつ自分の気持ちと折り合いをつけていく。そんな経験が必要なのだ。

満たされないものを人は他者に譲れない。

譲ってもらった経験が、相手に譲るに繋がっていく。

 

周りに合わせて我慢するというスキルが求められる場面は、長い人生の中で多いのかもしれない。

でも、その反面、みんなに合わせて自分を押し殺し過ぎて…そんな人はいないのだろうか。

どの親も子どものことを心配しているのはわかるのだが、自らが良かれと思ってかけた言葉が、いつしかその子を絡めとる囲いや重しになってしまうのでは…

 

スケート上での会話を聞いていて、「みんなに合わせて我慢するのではなく、自分のやりたいこと、できることから始めていけばいいのになぁ」と考える。

個別最適な学びが叫ばれる昨今なんだから。

 

 

特別支援教育という仕事柄、世の中の当たり前は当たり前ではないと考える瞬間がたくさんある。

「我慢しろ」というのは簡単だけれども、そうではなくいろんな環境や道具や進み方や関わり方の工夫をするのが僕の仕事だ。

 

そして子どもの人生の選択肢は、最終的にはその子自身が選ぶもののはずだ。

今ある常識がゴールではなく。

親が押さえつけたり、指示した通りに動かしたりするのがゴールではなく。

その子自身が選択肢を考えて選べるように。

 

最近読んだ本に書いてあった「教師の言うことは信じるな、そして親の言うことも信じるな、自分で考えろ」そんな言葉を伝えられる親でありたいなぁと教員で親の僕は思う。

思いつつ、この母親のように厳しい口調で叱りつけて反省する毎日なのだけれども。

「ずるい」ではなく「どうしたいかのか」を伝える

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子どもの話。

 

 

うちの子たちは欲が深い。

いや、欲があるのはいろんなことへの原動力につながるし、興味関心の幅が広いのだから悪いことではない。

でも、「あぁー、それズルい!!」という言い合いを四六時中聞かされるのはなかなか堪えるものだ。

 

なので、「ズルいっている気持ちはわかるけれど、その言葉だけじゃなんにも解決しないよ。だから『ズルい!』じゃなくて『私も○○ほしい』とか『○○してください』みたいにどうしてほしいかを言うようにしてみようか」とうちの子たちに言い聞かせてみた。

 

ズルい、うらやましいと思うのは周りのことをよくみている証拠だ。

そして欲はいろんな原動力の源だ。

ただズルいと思い、相手を妬ましく思うだけで終わってはなんにもならない。

 

  • やりたいことをやるためにどうするか考える。
  • 目的のために実際に行動し、達成できた経験を重ねる。
  • 全ての欲望が叶う訳ではないので、限られた条件の中でどれを優先するか自分で選択する。
  • 必要なら交渉する。
  • やむおえずできなかったことを受け入れる。

経験を通してそんな力を身につけていってくれたらなぁと思っている。

 

残念ながら我が家はアラブの石油王ではないので、今現在、子どもたちがやりたいことが叶えられる条件は非常に限られるし、この先もおそらくそうだろうし。

 

 

そんなことを子どもたちに伝えるのは、なんの本だったか忘れてしまったけれど、子どもたちがワーワー不平不満を言う状況に対して「リクエストならお聞きしますけど」と返答し、それから子どもたちが具体的にしてほしいことを伝えるようになったというエピソードが頭の片隅にある。

まぁ我が家でそうなるのはまだまだ先なのだろうけれども。

 

 

人間は得したことの3倍損したことが印象に残ってしまう生き物らしい。

つまり千円落とした失敗を帳消しにするには、三千円払わないといけない。現実で三千円払うことはほぼないだろうけれども。

根っから後ろ向きでネガティブな生き物なのだから(それは野生の環境で生き抜くために必要なことなのだろうけれども)。

際限なく湧き出る後悔や不平不満に溺れるよりも、少しでも今できることを考えて前に進んでほしいという親心からも、子どもたちには「どうしたいのか」「どうすればいいのか」を考え欲しいと思う。

 

考えろ、マグガイバー。

もし、明日死ぬとして、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら

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本を読んで考えたこと。

 

冒険の書』という本を読んだ。

この本を読んで考えさせられたことはたくさんある。多分別のブログで書くだろう。

 

今回紹介するのはタイトルにもある、「もし、明日死ぬとして、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら」だ。

 

「もし明日死ぬとして、一言だけ我が子に遺言を残すとしたら、どんな言葉を遺す?」

 なぜ僕がこのような問いを立てたかというと、この問いに答えようとすれば、僕自身がなにをいちばん大切にしているかがわかると思ったからです。

……

 たった一言で大事なことなんか伝えられない。どんか言葉であれ、愛する我が子への想いをすべて表してくれるはずもない。だけど、もしこの子が一生「父の遺した言葉」として、その意味について考え続けてくれるような言葉が残せたら、親としてこれほど幸せはないだろう。

 その言葉の意味はすぐにわわからないかもしれない。しかし、この子が大人になり、自分と同じように子の親となった時、「ああ、父はこのような想いで自分にこの言葉をかけてくれたのか!」と気づいてもらえたら、それがいちばんうれしいかもしれない。そんな言葉とはなんだろう。いったいどんな言葉をかけたら、「父はなぜ僕にこの言葉を遺したのだろう?」とずっと考え続けてくれるだろうかーー。

 

本の作者は『冒険の書』にふさわしい言葉を紹介するのだが、僕が考えたものはそんな大それたものではない。

我が子にそんな大きなものを託す気も今のところない笑。

 

ただ浮かんできたのは何度も読み返した伊坂幸太郎さんの小説『終末のフール』に出てくる一言だった。

「こんな娘を許してください」と挨拶をすると、父と母は愉快げに顔を見合わせて、「かわりに、おまえもいつか、誰かを許してあげなさい」と言った。

 

僕の名前は父と母の名前を足して割ったものだけれども、天佑神助に由来する「神様に助けてもらって幸せになる」という意味が込められている。

結婚式のスピーチで、まさかの父親と内容が被るという事態になったのだが、28年間生きてきた僕と父親とが同じように考えたのが「今の僕があるのは、神様=出会ってきた人たちのお陰」ということだ。

たまたまだが、妻の名前も「周りの人に愛される」という意味の名前だ。

だから2人で我が子の名前を考えるときに、「人との繋がり」を意味する名前を贈ろうと決めた。

長女には「人との結びつきがあること」を

長男には「人との繋がりがあつくなること」を

次女には「まことの出会いがあること」を

それぞれ意味する名前にした。

 

そんな人との出会いに支えられた僕から子どもたちに贈るのに

「かわりに、おまえもいつか、誰かを許してあげなさい」

これほどいい言葉はないんじゃないだろうか。

 

もちろん周りの人に苦しめられたり、傷つけられたりしたこともたくさんある。

でも、ギブされるから相手にテイクするのではない。

自分にできることは惜しみなくギブするのだ。

 

ちょっと自分が損しているのかなと思わないときがないわけではない。

若い頃はそう思っていた。

人に貸しをつくっているくらいがちょうどいいのだと。

 

でも、あるとき、ふと、気づくのだ。

自分が与えたと思っていたものが実はちっぽけなもので、与えたと思っている人たちからも実は多くのものを与えられていたのだと。

 

情けは人の為ならずという。

許すのは人のためだけではない、そのことで自分が許される。だけでなく、実は多くのものを与えられていたことに気づけるのだ。

 

 

許すなんて思わず、高校生の頃の僕はいろんなことに不満を抱きながら諦めていただけだった。

あれから大きな大きな失敗を繰り返したからこそ、多くの人に許してもらったからこそ、何かを許せる今の僕がいる。

 

我が子たちもいつかその意味に気づく日がくるのだろうか。

 

いつか我が子たちが大きな失敗をしでかしたときに。

「かわりに、おまえもいつか、誰かを許してあげなさい」と言える自分でありたい。

そんなことを思いつつ。