できないことを責めるのか、頑張ったことや挑戦したことを認めるのかという話。
という本を読んでいる。
その本の中で心に残っているフレーズがある。
「世の中には 2種類の人がいます。 1種類は、『誰か自分のこと認めてよ』と、認められるのを待っている人。もう 1種類は、『暇さえあれば、すきあらば、人のことをアクノレッジしよう』と思って生きている人。僕は後者を選ぼうと決めたんです」
以前読んだあべまさいさんの本にも同じエピソードが掲載されていた。
そのときから僕も『暇さえあれば、すきあらば、人のことを認めることのできる人』になりたいなとぼんやり考えるようになった。
できていないことを責めるよりも、
ここまでできたことを認められるように。
「できてないやん」じゃなくて「どこまでできたの?」と子どもに尋ねる。
間違ったり、失敗してもいいと伝える。
自分が失敗してきた話を伝える。
それが子どもたちが挑戦できるために必要なことだから。
家でも職場でも
子どもたちのちょっとしたできるようになった瞬間に「いいね」「できたね」と伝える。
そのために子どもたちのことをよく見ておく。
どうして欲しいのかを
不機嫌や曖昧な言葉ではなく、
具体的に相手に伝わる文脈で伝える。
「なんでできない、わからないの」じゃなく
「どうすればできる、わかるようになるのか」を僕自身が考える。
叱って怒って脅して子どもを動かすのではなく
子どもたちのしんどい、だるい、めんどくさい、できない気持ちを受け止めつつ、
選択肢のメリットデメリットを伝えたり、
どこまでならいけるかを話し合いながら提案・交渉するアプローチをして、
子どもたちが自分自身で考えられるように提示する。
多分、僕がこの先歩んでいくのはめんどくさい道だ。
「厳しく叱った方が子どものためになる」なんて声のデカい人たちが言う。
「ちゃんとしないと(怖い)●●先生が来るよ」なんて言う同僚もいる。
そんな周りの人から見られるプレッシャーの中で「子どもたちにちゃんとさせないと」なんて考えてしまう自分もいる(これは子どもではなく自分の問題なのだけれども)。
でも子どもたちに粘り強く働きかけて、
「ここまではいける?」
「いけたやん、いぇーい」
と小さなやり取りを一つずつ積んでいくような僕の関わりを認めてくれる人もいる。
もちろん僕の関わり方には即効性はない(いや、叱ることには即効性はあるけれど中毒性と半減性がある上に、後で強烈なしっぺ返しがあるのだけれども)。
めんどくさい上に効果があるとは限らない(見返りばかり求めてたら子どもたちと関わるこの仕事をやっていられないけれどね)。
でも、そんな関わりの中で子どもたちを認める人になれたら
そして幸運にも子どもたちが何かのきっかけでちょっとずつ前向きになって一歩前に進めたのなら
こんなに嬉しいことってないじゃないですか。
そういう人に僕はなりたい。
なんて思ってます。