叱り方に着いての話。
子は親に影響されて育つ。
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2019年12月14日
僕の叱り方は、母親の追い込んで逃げ道を1つずつ潰していくような叱り方だった。嫌で仕方なかったはずなのに。
それに気付いてからは叱り方を変えた、というか叱らなくなった。
うちの3歳の娘の怒り方はうちの妻そっくりだけれども笑 https://t.co/zKN8cYVvFl
怒鳴られて育った子供は、消極的になる。
褒められて育った子供は、積極的になる。怒鳴られて育った子供は、消極的になる。褒められて育った子供は、積極的になる。 | 子供を上手に叱る30の方法 | HappyLifestyle
子は親に影響されて育つ。
というか僕は親に影響されて育ったし、教員をしていて子どもとその親がよく似ているなぁとか、家庭での関わり方の影響が出ているなぁと感じることも多い。
僕の叱り方は、小学校教員だった母親の追い込んで逃げ道を1つずつ潰していくような叱り方に似ている。
「なんでこんなことしたの」
「悪いってわかっていたの」
「悪いってわかっていたのになんでこんなことしたの」
嫌で嫌でで仕方なかったはずなのに。
学校で働きはじめてからすぐに、相担任だった先輩に言われた。
「叱りすぎたらダメだよ。良かれと思って叱っても子どもとの関係が切れてしまう。関係が切れてしまったら子どもが話を聞いてくれなくなる。だから10ある良くないことのうち、叱るのは1つか2つにしとき。それから叱ったらその分目一杯遊んで子どもと関係をつくりや」
それに気付かされてからは叱り方を変えた、というか叱らなくなった。
いろんな本を読んだり研修に参加する中で、そもそも自分も叱られたから何かを直すのではなく、自分で直そうと思うから直すのだということがわかってきた。
全く叱らないということではないし、悪いことをしたら叱られるということを伝えるためにポーズとして叱ることはあるけれど、感情のままにあの逃げ道を潰すように叱ることは今は無くなった、と思う、いや、わが子の場合、まだちょっとあるけれど。
それに過去のことをぐちぐち叱って、子供を追い込んで「もうしません!」と言わせることより、なんでそうなったのかを考えて、子どもの弱さや逃げたい気持ちも受け入れた上で、「じゃあこれからどうするのか」を考えることの方がよっぽど生産的で効果もあると思う。
問題をおこしてやろうと思ってする人はあんまりいなくて、そんなことになるなんて想像していなかったり、相手の気持ちを考えなかったり、自分の弱さやできないことを受け入れられないことなんかから、問題行動に至ってしまうことの方が多いように思う。
話は戻って、うちの3歳の娘の怒り方はうちの妻そっくりだ笑
「もーパパ、また⚫️⚫️してる」
「もう⚫️時になるで、早くしないとパパ置いていくで!」
「⚫️⚫️するんやったら、もうご飯食べんでいい!」
きっちり真似てパパに言い返してくる笑
こうやって子供は育つんだなぁ。
学校でもそうだと思うんだけれども、子どもにこうなって欲しいと思うならまず自分がそのモデルになって示さないといけないんじゃないかなぁ。
わが家では、父母から率先して「ありがとう」「ごめんなさい」と言うようにしている。その効果か、最近3歳半の娘も小さい声で「ごめんなさい」が言えるようになってきたし、1歳の息子は「あーとう(ありがとう)」というと頭をペコっと下げる。
見本なしでやるってのはなかなか難しいよね。大人ほど何かをやれと言われると見本を求めるのに、子どもにさせるときは見本なしで「ちゃんとしなさい」って言うだけになるんだよね。
みんな子どものことを忘れてしまうのかも。
「やってみせ 言って聞かせて させてみて 誉めてやらねば 人は動かじ」
(山本五十六)
も、まず自分がやってモデルを示すことからはじまってるし。
モデルを示すことって大切だ。できていない(正しいフォームが身についていない)子ならなおさらだ。
ちなみにこの言葉には続きがあって、
「話し合い 耳を傾け 承認し 任せてやらねば 人は育たず」
「やっている 姿を感謝で見守って 信頼せねば 人は実らず」
人を動かして、育てて(育って)、実るところまで道は長いけれど、全てはこちらの関わり方次第だなぁと思うのです。