本の感想。
『風俗嬢の見えない孤立(角間惇一郎)」』という本を読んだ。
風俗が貧困女性のセーフティネットと言われている。だが実態は違うそうだ。風俗店側は、キャストとして女性を確保できないと話にならない。だから広告に徹底的にコストをかけて、女性が入りやすいようハードルを下げ、離れないようにエステやジム、ペットの預かりまで福利厚生を充実させる。
風俗に人が集まりやすいのは、風俗店の方が行政や NPOよりも広告に力を入れているからでした。
広告力が圧倒的に高いからこそ、風俗店には幅広い立場の女性が集まる。大勢を集めているからこそ、その中に「しんどい」女性がまぎれこむ確率も上がる。身も蓋もないですが、これが事実であり、「起きて当然のことが起きている」だけです。
支援側がいつでも気軽にお越しくださいと言って扉を開けているだけでは届かないし、正しさだけでは刺さらないという内容が心に残る。
しかし、支援側が広告に力を入れないと、今後も解決に至らないであろう問題が二つあります。
一つは、そもそも要支援の女性たちが、自分を支援してくれる団体やサービスの存在自体を知らないということ。そしてもう一つは、存在自体は知っているものの、立場や経歴を咎められるのではないか、追い返されるのではないか、といった不安から、女性たち自ら接触を敬遠しがちである、ということです。
行政や NPOに限らず、何かサービスを人に提供したければ、提供側はまず「知ってもらう →そこに足を運ぶまでの顧客の障壁を取り除く」という努力をする必要があります。これらを展開するのが広告であり、広告なくして一つのサービスが「人気」を集めることはまずありません。
…
支援する側は、どうしても「いいサービスを用意すれば人は来てくれるはず」という考えに陥りがちですが、ただ扉を開けているだけでは人は入ってきません。
ようやくやってきた女性に、「どうして先にうちにこなかったの」などといっても仕方ないのです。僕ら支援側が考えるべきは、どうすれば「風俗店以上に」困っている人に対して自分たちの魅力をアピールできるのか、接点を持つことができるのか。 風俗店が広告にかけているコストの大きさや広告の流し方、そしてユーザーとの「距離の詰め方」をありのまま、事実として理解すれば、そこには今と違ったアイデアが生まれるはずです。セーフティネットをつくる側に求められているのは、このような現実的視点ではないでしょうか。
前にもブログで書いたが、圧倒的な正しさだけでは人は救えない。
本当に何かを変えよう、誰かを救おうとするのなら、こちらの在り方や思想信条にこだわるのではなく、相手の立場やニーズを踏まえた上で、現実的な方法を考えないといけない。
僕が携わる教育だったそうだ。
正しさでは人は変わらない。
その子のために自分に何かできるのか、何をしてそれはその子に伝わっているのか、きちんと関係性ができているのか、その言葉はその子に刺さったのか、それをひたすら繰り返す。
それでなにかが伝われば儲けもん、そんなもんなのだ。