メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

強く正しい正義感という厄介な価値観

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本の話。

 

『いい子に育てると犯罪者になります(岡本茂樹)』という本を読んで考えたこと。

 

僕たちの個人の価値観は親など周りからの影響がとても強いものだ。

 

  • 人の気持ちを考える
  • ルールを守る
  • 目標に向かって努力する
  • 周りのために我慢する

 

こういった価値観を否定するつもりはない。

でも、僕も含めた多くの人はそのような聖人君子ではなく、人並みに不満もあれば嫉妬や怒りといった負の感情を抱くものだろう。

そして価値観が強すぎるとその人と溜まった負の感情の行き場がなくなり、自分自身やその価値観に合わない他者に向かって爆発してしまうのではないだろうか。

 

 価値観をたくさん刷り込んでいる人ほど、人間関係がうまくつくれなくなります。なぜなら、自分に刷り込まれている価値観と「反対のことをする人」が許せなくなるからです。「行儀よくしなさい」と言われて育った人は、行儀よくできない人を許せなくなります。また、行儀よくできないときの自分も許せなくなります。「当たり前のことをしなさい」という価値観を持った人は、「できて当たり前のこと」ができない人を見るとイライラします。そして、当たり前のことができないときの自分を嫌に感じます。正しい(と思い込んでいる)価値観をたくさん持っている人ほど、生き辛さを感じたり問題行動を起こしたりするのです。どんな価値観を強く持つかによって、人の悩みや苦しみは変わってきます。

 

僕自身も自分の価値観に救われたこともあれば、自分の思う正しさが他の人の正しさと衝突し、しんどくなってしまうこともある。

正しさとは1つではないはずなのに、数学の公式のように唯一無二の正しさがあると人は思い込み、そうしてバベルの塔よろしく高く積み上がった奢る正しさは「正義」となって暴走してしまうかもしれない。

 

 「強い正義感」という価値観は厄介です。なぜなら、他者にも自分にも非常に厳しい生き方を強いるからです。人が常に正しいことをし続けるなど、絶対に不可能です。普通は、正しくないことをしても「たまには、仕方ないよな」くらいで済ませたいものです。しかし彼は「正しいことができないときの自分」がどうても許せないのです。そうして自分自身をどんどん追い込み、自分も他者も傷つける人間になります。

 30歳になって間もない頃、彼は、高齢者から金を搾取する男(被害者)の存在を知り、許せない気持ちを持ちました。また、悪事を見過ごしている自分自身にも腹を立てています。そして、被害者が自分の知り合いの高齢者からも金を騙し取っているのが分かったとき、積もりに積もった怒りが爆発しました。ついに殺害に至ったのです。

 刑務所で初めて面接したとき、かれは「悪いことをした奴を殺して何が悪い。俺は正しいことをやっただけだ!」と彼なりの「身勝手な言い分」を主張しました。確かに高齢者から金を搾取する被害者にも非があります。だからと言って、殺人は絶対に容認されません。しかし自分も他者も絶対に許せなかった彼にとって、殺害以外の方法はなかったというのです。

 原点は、幼少期に彼が父親から受けた言動にあります。「強い正義感」を生み出した父親の厳しい言葉と暴力です。彼は自分の幼少期が事件を起こした原点であることをまったく分かっていません。私と原点を探っていった結果、彼は社会で「男らしさ」を無理して見せる生き方をしてきたことを理解しました。そして、「強い正義感」を持つ背景には、彼が父親に「男として認めてもらいたい」気持ちが強くあったことも分かりました。本当は男らしくなくてもいい「ありのままの自分」で父親から愛してほしかったことに気づいたとき、彼の価値観は根底から覆り、同時に被害者に対して「本当に申し訳ないことをした」という「心からの謝罪」の気持ちが生まれたのです。

 

学校現場で働く僕にとってこの話で思い浮かぶ例はいくつもある。

正しさに自分自身が縛られていたり、正しくありたいのに自分が正しくできていない矛盾からくる苛立ちを「正義感」という仮面を被って正しくない他者に攻撃する。

そんな自分に気づかない子はたくさんいる。

自分の求めるものを、その子が充分と感じるまで満たされていない飢餓感のある子もいる。

 

その子たちが自分でも気づいていない、心の奥底の本音に気づいて、伝えられれば、

みんながお互いにもう少し寛容になって生きやすい世の中になるのになぁと思った。