ある本を読んでいて、20歳頃まで最悪死ねばいい、そうすればなんとかなるみたいなことが書いてあった。
「死ねばいいや」ーこれは20代の僕における基本的な姿勢でした。会社を始めたとき、銀行から(返す目算なんて何ひとつないまま!)大きな額の借り入れをしたとき、睡眠薬と酒をザバザバ胃に流し込んでいたとき、そういったとき僕のそばには常にこの最終的な解決策としての死が存在したような気がします。
人生は恐ろしいです。ある日動けなくなるかもしれない。突然災厄が降ってきて何もかもが失われるかもしれない。そして、とても残念なことにそういうことは起きるときには起きます。こういったどこまでも拭えない不安に対して、「死ねばいいや」以外の答えを出さなければいけなくなったのが、僕の30代の始まりだったように思います。
…
人生に、確かな進歩を感じられる日なんて1日もないのではないかと僕は思います。あらゆる努力はバクチです。成果が出るかなんてわかりません。いつあなたの足元にどん底行きの落とし穴が開くかなんて誰にもわかりません。そして、それは開くときには開くといった性質のものです。
だから、もうしょうがない。やれることをやって、不安を感じながら日々を生き延ばしていく。それしか残らないんです。
先日、「ツバキ文具店」という本を読んでから思い立ち、妻への手紙を書いた。
その際に、過去に妻へと向けたでも手元に置いたまま出さない手紙を書いていたことを思い出し、ふと読み返した。
二十代前半の頃に書いた手紙だ。
その中で、学生時代に僕もいざとなればいつ死んだっていいなんて考えていた。
当時乗っていたカワサキのバイクでアクセルを限界まで回し、ガードレールを超えていくことを半ば夢に描きながら生きていた。
そんな僕の意識は月並みな話だが、初めての彼女ができたことで大きく変わる。
それまでは自分に自信が持てなかった。
多分、小学校ではじめたミニバスで所謂一軍メンバーになれなかったことと、高校時代に張り切りすぎて周りから浮いてしまいがちになり、その反動から周りを気にしすぎるようになったからだ。
その代償…ではないかもしれないけれど、周りを気にしているのでいろんなことに気づくことが多く、「優しい」と呼ばれることが増えたが、僕自身はそんなふうに「優しい」と言われることに強いコンプレックを抱いていた。
だからなのだろうか、どうしても第三者的な視点から自分を眺めている自分がいたし、周りとの関わりも自分自身についても虚しさのようなものを感じていた。
それがそんな自分の弱い部分を受け入れてくれてくれる人ができたことで一変する。
自分のコンプレックだった「優しさ」が、人に喜ばれるのを受け入れられるようになった。
大事な人たちができた。
守りたい人ができた。
大事な思い出ができた。
そして気付いたら、死んでもいいとは思わなくなっていた。
死にたくない、もっとたくさんの思い出をつくっていきたい、そんなふうに願う自分がいる。
今でも死んだらどうなるのかなとふと考えることはある。
でも死んだらチャラだと考えていたあの頃とは違う。
生きていればいいことも悪いこともある。
それを飲み込んだ上で、今日もぼちぼちへいこら歩いていくのだ。
「死ねばいいや」をやめて不安を「背負って」生きていくのだを、