人生の話。
『はじめての哲学』という本を読んでいて、「なんのために生きるのか?」というような問いかけに対して、スラムダンクの「オレは今なんだよ‼︎」というセリフが浮かんできた。
このセリフの前には「オヤジの栄光時代はいつだよー 全日本のときか?」というセリフがあるのだが、ある人にとって栄光の時代がいつだったのかは人生を歩んでいく上で大事なキーポイントになるのではないかと思う。
「まだまだこれからが栄光の時代」という夢が溢れる人もいるだろう。
「今がまさに栄光の時代」という絶頂期の人もいるだろう。
若い頃の僕は『ワンダフルライフ』という本を読んで考えた。
以前にも紹介したが、この本の世界観はこんな感じだ。
人は死後、ある場所にいく。
それから7日間のうちに人生の中での一番の思い出を選ぶ。
そして、その思い出の場面を再現し、その思い出だけを胸に次の世界へと旅立つ。
高校生だった僕は当時好きだった女の子に告白した瞬間を夢想した(結局振られたのだけれども)。
大学生の僕は楽しかった思い出をアルバムにし、それに囲まれた最後を空想した。
若かった僕は今まさに生きている瞬間や、まだ見ぬ将来に栄光の時代があるのだと考えていたのだ。
37歳の今でも、過去の特定のポイントに栄光の時代を置く考えはない。
これからも楽しいこと(とスパイスとしての辛いこと)がたくさんあると思っているからだ。
そんなときに別の本にあった言葉が心に刺さった。
「最も美しいとき」のあとも人生は続く
天安門事件当時を振り返ったルポタージュの本の言葉。
ただその言葉が、「これからも栄光の時代が続くとは限らない。そして栄光の時代が終わっても、その先も人生は続いていくのだと」いう当たり前のことを再確認させてくれた。
いつかは僕も「ああ、あの頃は良かったのになぁ」と過去の栄光に想いを馳せ、自分のいる今に執着しなくなるのかもしれない。
それは老いるということなのかもしれない。
ただキラキラ輝く瞳で「次はアレしたい、コレしたい」「えーアレやりたかったのに」「ココに行ってみたい」と楽しみなことや夢に夢中になっている我が家の子どもたちを見ていると、まだまた一緒になって栄光の時代を追いかけ、過ごしていきたいなと思う。
いたが栄光の時代だったのか、その判断をするのはもう少し先でいたい。