本の感想続き。
太郎さんには、夢がありました。
その夢のために、太郎さんは一生懸命働きます。
寝る間を惜しみ、人が遊んでいるときこそ働きます。
太郎さんは、いつも心でこう思っていました。
「何くそ! これくらいのツラさに負けてたまるか!」
太郎さんは、夢をかなえるために、来る日も来る日も、 ツラく理不尽な仕事をしていました。
ある日、太郎さんは働き過ぎでカラダを壊してしまいました。
入院した病院でグッスリ寝て、しっかり食べました。
そして、太郎さんは言いました。「この生活が、夢だった」
夢を持つことは大事なのかもしれないけれど、どれだけのものを捧げるのか、夢のために選べる道はいくつあるのかを同時に考えておいた方がいいのだろう。
僕たちは誰しもドラクエやエフエフのバトル画面の「たたかう」「まほう」「とくぎ」のように、いくつかのコマンド(選択肢)を持っていて、直面する場面でそのコマンドを選んでいる。
選択肢がたくさんある人もいれば、「からかう」「おこる」しかなく、コミュニケーションで困ってしまう不器用な人もいる。
意外と気づいていない人が多いのだけれども、そのコマンドは増やしたり、自分でカスタマイズ可能なのだ。
僕たちはものまねしゴゴのように、他人や本やネットから学んだ選択肢をチョイスできる。
夢を追いすぎて夢を追いかけること自体が夢にならないように(ある意味それは幸せなのかもしれないけれど)、僕たちは自分の選択するコマンドが適しているかどうかを考えた方がいいのかもしれない。
「生きるとは」 芳村思風
人間において生きるとは、
ただ単に生き永らえる事ではない。
人間において生きるとは、
何のためにこの命を使うか、
この命をどう生かすかということである。命を生かすとは、
何かに命をかけるということである。
だから生きるとは命をかけるという事だ。命の最高のよろこびは、
命をかけても惜しくない程の対象と
出会うことにある。
その時こそ、
命は最も充実した生のよろこびを味わい、
激しくも美しく燃え上がるのである。
君は何に命をかけるか。
君は何のためになら死ぬことができるか。
この問いに答えることが、
生きるということであり、
この問いに答えることが、人生である
僕の人生の命をかけるほどの問いの答えはまだ見つからないけれど、ワンダフルライフのように、死後の世界に1つだけ思い出をもって行けるのなら…
欲張りな僕は、これまでのたくさんの幸せな瞬間をアルバムに綴じて眺めていたい。
なんのために生きるのか。