メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

間違いを犯したときに必要なのは反省ではなく…

f:id:megane_kun_ha107:20210628081155j:image

本の感想。

 

『反省させると犯罪者になります(岡本 茂樹)』 と『発達障害と少年犯罪(田淵 俊彦/NNNドキュメント取材班)』という本を読んだ。

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

  • 作者:岡本 茂樹
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 単行本
 

 

「反省させると犯罪者になる」というある意味センセーショナルな言葉は、以前にTwitterでみかけた「薬物使用などの犯罪を犯した芸能人に対して、責めたら謝らせても問題の解決には至らなくて、本人の弱さや薬物を使用してしまうまでの過程と向き合わないといけない」という言葉に繋がるものを感じた。

 

学校で問題行動を起こしたとき、過去の体罰も含む厳しい指導で押さえ込こもうもする対応は僕が子どもの頃からそんなには変わっていないだろう。

厳しく指導すれば、常に監視の目を光らせれば、確かに校内や在学中の問題行動は無くなるかもしれない。

でも問題の種火が燃え上がらないだけで、奥底では燻っている状態、それがその先でより激しく燃え上がることまで厳しい指導で抑えられるわけではない。

 

支援学校で働く僕も子どもたちの問題行動に対応する場面がある。厳しい指導を全くしない訳ではない。でも、なるべく話を聞き、「なぜそうなったのか」を掘り下げるようにしている。それが問題解決への遠回りのようで近道だからだ。

「アイツの言動がムカついたから」「あの子だけズルいと思ったから」相手に対して加害を加える理由を尋ねると、必ずと言っていいほどまず相手への想いが出てくる。

でもその裏には自分が馬鹿にされていると思う認知の歪みや、自分への劣等感、モノやココロが満たされない渇きなどが隠れている。あるいは他者の感情を理解したり、共感したりするスキルも必要になるだろう。そこに自分で気づくことができるのか、それによってその後の歩みは変わるのだろう。

 

反省させるのは、ある意味その気持ちに蓋をしてしまうことになるのかもしれない。

『反省させると犯罪者になります』にあるような謝罪の気持ちだけを吐き出す作文では、何故自分が犯罪という方向に向かったのかの本当の根っこの部分が見つからないまま、表面的な反省で終わってしまうのかもしれない。

 

発達障害と少年犯罪』にあるような、相手の気持ちを理解することが難しい子たちとは日常的に接する機会がある。本では子どもたちの認知機能をたかめるトレーニングが紹介されていた。僕自身も子どもたちへ、自分と相手の考え方や感じ方が違うことからスタートし、自分の感情や相手の感情の理解、怒りの感情コントロール、モノの見方や感じ方、自分の言動が変われば相手も変わることなどを繰り返し伝えている。それはとても時間も手間もがかかるのだけれども、叱られるだけでなく、子どもたちが納得して変わっていく手応えを感じている。

それ以外に、犯罪を犯した子たちが心の奥底で抱えていた、親への叫びのような、愛着の課題とでも言うような、満たされない想いを受け止めることも必要なのだろう。

 

犯罪を犯した少年たちに求めるものが罪を償うための罰を受けるものではなく、自分自身を振り返り、そこからの自分自身を変えていくことなのだとしたら…まず求めるのは反省ではなく、抑圧され心の底に膿のように溜まった本音を吐き出すことなのもしれない。