仕事の話。
僕は支援学校で働いていて、当然のことながら子どもたちだけでなくその保護者とも関わる機会がある。
子どもたちは未成年者でその養育責任は保護者にあるため、家庭訪問や懇談、あるいは電話連絡などで保護者と話し、学校での様子や課題、こちらが行なっている配慮や支援について話す。
お互い人間なのでもちろん相性もある。
あの先生はダメだったけれど、今回の先生はいけるみたいなやつだ。
過去にもこんな事があった。
前の担任の●●先生は●●してくれなかったので、●●してください。あるいは●●してもらっていたので引き続きお願いします。
僕個人はできる範囲のことは答えたいと思うし(もちろん足並みを揃えるために止められることもある)、要求されたことをするしないの理由をできる限り丁寧に伝えたいと思っている(例えば今の時点だけでなく、卒業後の進路やその先の話もする。なにかをするということは必ずしも良いことばかりではない)。
それが前の担任とやり方が違うことから、信頼されることも失望されることもあるだろう。
でも、見た目や人柄の好悪というものは確実にある。
例えば、前年度とほとんど同じ対応をしていても、子どもの調子が良くなったからと言ってもこちらの支援を絶賛して、前担任の支援を全否定する方もいる。
こうなってくると評価される喜びよりも、裏返ったときの恐怖の方が大きくなり、心配になってくる。
まるで調子のいいときの阪神ファンのようなものだ。
勝ってるうちはなんでも熱が入って褒める。
優勝すればカーネルサンダースと道頓堀にダイブだ。
けれど、負けがこんでくると途端に些細なことに対する愚痴が出てくる。
バッティングもピッチングも子どもの調子もそのときのタイミング次第、水物みたいなもんだと個人的には思っているので、子どもの調子だけではなく(もちろん調子だけでなく、こちらの支援や関わりが原因のこともある)、こちらの語る内容ややっていることに対して鋭い目で見ながら評価されるところは評価していただければ…というのが偽らざる本音だ。
ちなみにうちの亡くなった祖父は生粋の阪神ファンなので、勝とうが負けようが阪神を応援することに変わりはない。亡くなるまで、阪神が勝って巨人が負けた翌日には、必ずスポーツ新聞を買い熟読していた。
まぁそこまで盲目的に信仰されるのも考えものなのだけれど…僕たちは卒業してから先は同じように関わることはできないのだから。