ある地域の中学校を見学して聞いた話。
その学校はなかなかしんどい学校だったそうだ。
大半の子どもたちが授業に参加せず、教室にも入らず、ルールを破り、指導には暴力で反抗する。窓ガラスや壁は壊れ、教員は力で抑えようとするもできず、疲弊していった。
そんな中で、ある先生が立ち上がった。
学校の何がしんどいのか、子どもたちにどう接し関わればいいのかを何度も繰り返し、話し合っていった。
ルールを強要することで、教員と生徒が対立してトラブルになるのなら、ルールを緩めてはどうか。
子どもに愛着の課題があるのなら、キーパーソンをつくり、授業には入れずとも、一緒にいて話をする機会をつくった。
支援をいれ、教室などの環境をわかりやすく構造化した。
校内問題のデータを集計し、データ的に問題の起こりやすい『雨の日の水曜日の午後』を全校で意識するようになった。
子どもをほめるメモを掲示した。一人ひとりの頑張ったところや良いところ、ありがとうと伝えたいことを教員みんなで書いた。
目を引くようなキャッチーなフレーズの掲示物をたくさん貼った。
愛着の研修を何度も開き、子どものためし行動をかわすスキルを磨いた。また子どもたちが自分自身の感情に気づけるような取り組みも行った。
他にもたくさんある。
もちろん、みんながみんな同じ方向を向くのは難しい。
今までの厳しい力で抑える指導をしてきた教員からは「甘すぎる」という声がたくさんあったそうだ。
「三つ子の魂百まで」と言うが、大人が変わるのは本当に難しい。ましてや、みんなが異なるやり方なのに「子どものために」という思いで動いているからだ(「子どものために」と思って善意からやったことが、必ずしも良い結果につながるという訳ではない。大抵の悲劇は、善意からはじまる)。
そこの学校がすごいのは、トップの校長も一緒になって動き、「このやり方が合わない、納得できないと感じる方は、どうぞ転勤してください」とはっきりと伝えたことだ。
同じ方向を向いて頑張れる仲間が残った。
みんなが同じ方向を向くこと。
その大事さと協力するパワーはすごい。
でもなかなかそうはいかない。
難しい。
もちろんみんなが同じ価値観で行動するということにはデメリットもある。
考え方の違う人にとっては強要になるのだろう。考え方が硬直化してしまうかもしれない。
組織の多様性がなくなるかもしれない。
目的と手段をみなが意識していないと、それは容易く入れ替わる。
そのパワー故に、それが子どもたちに合ってなかったり、衝突したりしたときの負のパワーも大きくなるだろう。
でも、それでも、
みんなが同じ方向を向いて進む力に、輝きに憧れてしまうのだ。それはその難しさ故かもしれないのだけれど。