日曜日にある資格試験がある。
教員採用試験を終えてから、認定講習のレポートくらいしか試験っぽいものに縁がなく、久しぶりの試験で気持ちは憂鬱だ。
早く終わって欲しい。
ちなみにどうでもいいが、憂鬱の「鬱」という漢字は、「リンカーンはアメリカンコーヒーを3杯飲む」と覚えるらしい。
林(りん)のあいだに缶(かん)、ワ(わ)かんむりの下に、米(米国の米なのでアメリカン)を傾けて、コ(こ)をこれまた回転させてその下にヒ(ひ)、最後に3本(3杯)払うという感じ。
ひたすら繰り返して書くだけでなく、こんなふうに声に出して覚える方法もある。
気になる人はミチムラ式漢字学習で検索してみてほしい。
こんなふうにどうでもいい話をするのも、きっと試験が迫っているからだ。
小さい頃から勉強はできたので、試験は憂鬱どころか待ち遠しいかった。
憂鬱になってきたのは、中学時代の模試や入試からだろうか。まぁまぁの高得点は取れていたので、憂鬱度はそこまで高くなかった。
進学校へすすんだ高校時代になると、周りは勉強できる+努力するやつばっかりだったので、一気に落ちこぼれ、その頃の試験が最も憂鬱だった。
塾へ通い、毎日風呂やトイレや電車の中で日本史の教科書を熟読するという変態的な生活を送るようになってから、日本史に関しては試験は憂鬱ではなくなった。数学は最後まで憂鬱だった。
法学部だった大学時代、「民放第●条について論ぜよ」とだけ書かれ、制限時間の2時間で、レポート用紙3〜4枚を埋めなければならず、そのくせ合格率が5割という試験も憂鬱だった。アレのせいで法律が嫌いになった。
教員採用試験はそこまで憂鬱でもなかったが、実感のないままに合格してしまった。
振り返ってみれば、憂鬱の原因は、自分からやりたい勉強かどうかや自信があるかどうかなんだろう。
その憂鬱加減が、現実逃避のように部屋の掃除や掃除からの漫画や小説読み返し→気付いたら朝現象へと誘ってしまうのだろう。
大学時代に、夜食づくりや筋トレなどなぜというような無駄なことをしてから、ようやく明け方近くからレポートに取りかかったものだ。
こんなブログを書いているのも現実逃避だ。
それはわかっている。
ブログを書いている暇があったら、テキストを見返す方がよっぽどためになる。
でも家で勉強してたら子どもが邪魔をする。
いや、子どもが寝てからすればいいだけなのだが。
昨日、試験が終わってからと思っていた本を無駄に読んだのもそうだ。
意外とサクッと読めたから。
こんなふうに言い訳は次々に湧いてくる。
やらない理由なんて星の数ほどあるのだ。
やらないといけないんだけれども。
ああ憂鬱だ。
早く試験終わらないかなぁ。
でもきっと、終わったら、もっと勉強しておけば良かったのにって思うんだろうなぁ。
とりあえず試験に向けてシュークリーム分が足りてないので、帰りにシュークリームを買おう。全てはそれからだ。