メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

悪どすぎるッ…バンダイッッ!!

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今日の話は悪名高きおもちゃメーカー、バンダイについてだ。

以前にもブログに書いたが、うちの娘はプリキュアにハマっている。

ヒーリングっどプリキュア キュアタッチ変身ヒーリングステッキDX

ヒーリングっどプリキュア キュアタッチ変身ヒーリングステッキDX

  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

そして今季のヒーリングっとプリキュアは、武器のヒーリングステッキやアースウィンディハープ、ヒーリングっとアロー(ちょいちょい新武器を追加してくる)やおしゃべりラテぬいぐるみなどに、エレメンタルボトルという付属アイテムを装着すると音声が流れるという仕組みだ。そしてこの付属品のエレメンタルボトルは、おもちゃとして販売されているだけでなく、お菓子のおまけ(いや、おまけではなくむしろメイン)や雑誌や衣服の付録、クリスマスケーキのおまけ、さらにはガチャガチャで入手することができる…逆にいえば、雑誌や衣服を購入したり、ガチャガチャに投資しないと全てを揃えることはできないのだ。

大人である自分も、雑誌(だいすきプリキュアというファンブック)で紹介されている20種類以上のヒーリングボトルを見て、コンプリート心をくすぐられた。4歳の娘がこれにあらがあるはずもなく、クリスマスケーキを予約させられ、その意味もわからず姉が持っているという理由だけで欲しがる2歳の息子にもお菓子売り場で1つ買う羽目になってしまった。

ヒーリングっどプリキュア エレメントボトルセット1

ヒーリングっどプリキュア エレメントボトルセット1

  • 発売日: 2020/02/01
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

 

そしてこのシステムの恐ろしさは、おもちゃを買う→エレメントボトルを装着して音声が流れる→楽しい→別のおもちゃにも装着したくなる→最終的に全てのおもちゃとヒーリングボトルが欲しくなるという悪魔のスパイラルに囚われてしまうという点にある。ヒーリングボトルは1つ300円ほどとお安いが、それが高価な玩具への布石となっているのだ…恐るべしバンダイ

 

最近のおもちゃのポイントの1つは、他のおもちゃなどとの互換性だ。

近所のライフで出会った娘と同じ保育園の男の子は、仮面ライダーのカードゲームに小銭を注ぎ込み、我がのおもちゃとカードをセットして、こうやるんだよと紹介してくれた。

横で呆れ顔のお母さんが、「毎週来たいって言うし、新しいおもちゃが出たらこのカードゲームにセットできるようになってるから欲しいって言うし、もう大変です」と言っていた。

あと「弟くんもそのうちこうなりますよ」という恐ろしい予言もされた。

 

そしてこのクリスマス前シーズンに入り、バンダイのCMがやたらと目につくようになった。

CMの度におもちゃが紹介され、「あれも欲しい、これも欲しい、全部欲しい!」と叫ぶ娘。

…いや、ブルーハーツちゃうねんから…強欲すぎるやろ…

…てかもうクリスマスプレゼントはこれでいいって言うてたやんか…

…もう買ってもうたから交換できへんし…

そしておもちゃの宣伝の終わりに流れる「クリスマスはバンダイ」とフレーズ。

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もう聞きとうないです。

 

しかし、この海老で鯛を釣るならぬ、ヒーリングボトルでヒーリングっとアローを買わせる戦術は敵ながら天晴れである。

お金儲けに邁進するその姿勢は潔さすら感じる。

こうしてバンダイの掌の上で踊らされながら、娘との攻防は今日も続いていく。

 

追記

娘に買わされたプリキュアのクリスマスケーキについていたエレメンタルボトルというおもちゃを別売りのおもちゃにセットすると「メリークリスマス!」というキャラの音声が流れる。このおもちゃが販売されたのは2月、その時点で全ての仕込みが終わっているのだ。

恐るべしッ…バンダイッッ!!

相手の気持ちが全てわかったとしたら

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高校生の頃に読んでいた『キノの旅』というライトノベルにこんな話があった。

キノの旅 the Beautiful World (電撃文庫)

キノの旅 the Beautiful World (電撃文庫)

 

 

主人公が訪れたある国では過去に他人の気持ちがテレパシーのように分かる薬が発明され、それは素晴らしい、我々はこれで分かり合えるんだと国民全員がその薬を飲んだ。だが、下心や劣等感、怨み嫉みなど言葉には出さない、出す必要のないことまで伝わってしまい、国が大混乱に陥った。その結果、薬の効果が届かないよう、みなが距離を取り別々に暮らすようになったのだ。

 

「相手の気持ちを考える」

 

そんな無理難題を言ったり言われたり、求めたり求められたりすることがあるだろう(皆さんはわからないが、僕には無理難題という自覚がある)。

でも、架空のこの相手の気持ちが全てわかる国の話には、妙なリアリティがあった。

僕たちが「相手の気持ちを考えよう」なんて言うときは、大抵自分の立場から発しているから言える訳で、それを言われている、「相手の気持ちを考えていたいと周りから思われている相手の気持ち」は本当に考えているのだろうか。そこまで考えて言うとするなら、伝え方が変わってくるはずだろう。

相手の気持ちがわかったら、今までと同じような言動のままでいられるだろうか。いや、無理だろう。

小心者で相手の顔色をすぐに伺ってしまう僕は、相手の感情に耐えられないだろう。怖くて怖くて縮こまり、何もできなくなるだろう。

もちろんこれは僕の立場からの想像で、それぞれの人の思考の方によって、想像しうる相手の感情は変わるだろう。

もちろん、それはあくまでも自分の想像で、現実にいる相手の生の感情とは違うはずだ。

そして自分自身の心の声が周りに聞かれていたらと考えると怖くなる。良い人そうがウリの僕はそんなにイイヒトではない。

例え相手の気持ちが伝わっても、僕の怒りと他者の怒りは同じとは限らない。にもかかわらず、同じ言葉で同じ感情を共有できていると感じるのが人のメリットでもあり、デメリットでもあるのだろう。

 

感情、こころは目に見えないから色も形も質感も大きさもわからない、手でも触れない、音も聞こえない、味もしないからだ。

でも確かにあると思えるもの、それがこころ。

わからないが故に慎重になることもあるだろうし、逆に自分の感情を優先して押し付けることもあるだろう。

どちらを選ぶのかはわからない。

 

でも、この社会の中では相手の気持ちを考えざるを得ない場面が多い。相手の気持ちを考える練習をする必要がある。

でも、だからこそ、「相手の気持ちを考える」という無理難題を押し付けている感覚を忘れてはいけないのだと思う。少なくとも自分自身はそうありたいなと思う。

僕には相手の気持ちはわからないけど、相手の気持ちが全てわかる世界で生きられるほどタフではないので。

歴史とはこういった瞬間の積み重ねなのかもしれない『見はてぬ夢を」

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本の感想。

 

「見はてぬ夢を(山本優子)」という本を読んだ。

 

左近充孝之進(さこんのじょうこうのしん)という人の一生を描いた小説だ。

コトバンクには以下のように記載されている。

1870-1909 明治時代の教育者。
明治3年5月2日生まれ。成人後に失明。鍼(はり),マッサージをまなび,明治32年神戸で開業。38年点字活版器をつくり,神戸訓盲院(現兵庫県立盲学校)を開校,39年日本で最初の点字新聞「あけぼの」を創刊した。明治42年11月11日死去。40歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。東京専門学校(現早大)卒。

 

 

盲学校に勤務し、点字技能師試験のために勉強したこともあるので、彼が日本最初の点字新聞「あけぼの」を発行したことや、今の兵庫県立盲学校のもとになる学校を開いたことは知っていた。また彼と妻増江が発行した「点字独習書」の実物にも触れる機会があった。それが恥ずかしながら、今まで彼を描いたこの本を読んだことはなかった。

 

月並みな表現かもしれないが、読んでいて鳥肌が立った。

明治の時代に、目の前亡くなった人が、盲学校を建て、盲児を集めて指導し、点字新聞を発行することがどんな意味を持っているのかを、僕は理解できていなかった。

当たり前だ。僕は高校時代の受験のときに日本史を学んでいたように、ただ表面的な文字をなぞり覚えていただけだった。

この本は小説である。

彼に関する資料の多くは残ってはいない。

それでも彼の悩みや苦難が、想いが肌で感じられる。

読み終わってまるで『燃えよ剣』の土方歳三、いや、バラガキのトシのようだなと思った。

高校時代の日本史の授業で聞いた言葉を思い出す。

 

「君たちの学んでいる歴史は、あくまでも歴史という本の目次ですよ」

 

その通り、その年表の行間には果てしのない人々の想いの積み重なったドラマティックな瞬間がある。歴史は名の知られた人物だけのものでなく、そういった無名の人も含めた偶然のうねりの中で生まれていくんだ。そう、ふと思った。

考えてみれば、偉人についてなんて、その業績や伝記を通してのポジティブな面しか知らない。「遠き落日(渡辺淳一)」 を読んで、野口英世のクズっぷりには呆れを通り越して笑ってしまった。当たり前だけど、人にはさまざまな面があるし、その本心や性格を隈なく知ることなんてできない(僕にも、僕自身も認知していない一面がきっとある)。

 

願うなら、もう一度、彼、左近充孝之進の作った「点字独習書」に触れる機会があるのなら、彼とその周りの人たちの想いが積み重なりを想像しながら、その本に触れてみたい。そう思う。

スペインでのアントニオ・ガウディについての語らい

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Facebookで見つけた友人の投稿から

パッケージ化され、ひとつの形式になることで、
大量に広まっていったスペイン風の近代建築。

パッケージ化され、形式化されるということは、
「完璧なモノが」「できてしまい」、
「それが繰り返されてしまう」ということで、
生まれて行く躍動感や、生もうとする遊び心にかけるところがある。
●●ビルさんは躍動感と遊び心に満ちた建築。
●先生のご指摘が相変わらず鋭く刺さりました。

この10年強、
混沌の時代と言われてきて、
新しい何かを生み出さなくてはならない、
という方向に色んな分野が向いていって、
そこでとくにここ数年、
表層的なパッケージが、
「新しいモノ・コト」という錦の御旗になりうる言葉とともに出てき出して、
しかしコロナ時代に突入して。

本質的な「新しいモノ・コト」とは何か。
歴史と未来を俯瞰される●先生の眼に、
いつも感動します。

 

6年前に妻とスペインへ旅行した時の話だ。

マドリード、トレド、アルハンブラバルセロナを鉄道や飛行機で旅をした。その機内で、たまたまスペイン人の技師だと言う家族連れの男性とお互いに拙い英語を駆使して会話していた。確かこういった内容だったと思う(実際はこんなスムーズには話せていませんし、かなり要約しています。ボディランゲージや筆談も多用しているので、この内容で30分くらいはかかっているはず笑)

「観光か?どこから来たんだ?」

「日本だ」

「(子どもたちが)日本?クレヨンしんちゃん!」と盛り上がる。

(僕がクレヨンしんちゃんドラえもんの絵を描いて、「似てないよー」とか言い合いながら交流する)

バルセロナサグラダファミリアは見に行ったか?」

「当然、グエル公園やガウディ設計のアパートも見に行ったよ」

「これはこないだ(スペインの)ドキュメンタリー番組でやってたことなんだけど、今でこそガウディは有名で唯一無二の存在になっているけど、実は彼が生きていた当時は、彼の作品は奇抜過ぎると言われてそんなに評価されていなかったんだ。

当時は、モダンで直線的で画一的なアパートメントやビルが先端的だともてはやされ、一世を風靡していたんだ。

そんな中でガウディの作品は異端的な扱いを受けていたらしい。

それがいつのまにか、ガウディの作品の個性が認められて世界中で有名になり、一方で、スペインの近代建築は個性的でないが故にそれほど評価されなくなった。

お互いに拙い英語のやりとりだったが、「だから世の中何がどうなるかわからないね」という言葉でこのスペイン近代建築についての話は終わった。

 

この話は色々なことを示唆している。

世の中の流行り廃りについてや、個性的であることの難しさ、評価されるタイミングなどなど。

でもそれとは別に僕の思い出の中に残っていた異文化交流の一場面だ。たまたま見かけたスペイン近代建築という言葉から浮かんできた思い出のカケラだ。

 

どうでもいいけど、クレヨンしんちゃんは、スペイン語でもCrayón Shin-chanだった。

ピザにまつわるエトセトラ

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今週のお題「ピザ」について

 

思いついたことをツラツラと。

ピザと言われて「そういえば昨日の晩御飯は宅配半額セールだったからドミノピザだったなぁ」と思う。うちの息子はパン好きで、ピザも好きなんだけど、上の具とチーズを剥いで生地だけモグモグ食べるのだ。いや、それただのパンやんか…。ちなみにグラコロもそうだけど、冬の時期は僕の嫌いなエビやカニが登場しがちなので嫌なのだ。宅配ピザはシンプルなサラミ沢山のやつがいい、あとモチ明太子のやつと。

 

そう言えば、数週間前に代休の日で、妻と2人でランチデートしようと思ってたら息子が発熱で、仕方ないけと悔しかったので、近所の美味しいお店のピザとジェラート屋さんをテイクアウトしたなぁ。美味しかったけど、ちょっと蒸気でもちゃっとしてて、やっぱりお店で食べたかったなぁ。あのときもうちの息子はチーズを剥いで生地だけ食べてたなぁ。マルゲリータ美味しかったのに。

 

95歳で亡くなった祖父の家に行くと、昼食はピザかお寿司のデリバリーだったなぁ。もうあまり食欲の亡くなった祖父が、クリスピー生地なら食べられると嬉しそうに言っていたのはもう4年も前のことだ。あのとき0歳だった娘ももう4歳だし、あれから生まれた息子はピザ生地ばっかり食べてる。

 

社会の授業で、生徒の好きな揚げ物をテーマに「世界の揚げ物」を調べたこともあった。パンツェロッティというピザ生地を揚げた食べ物もあった。うちの息子は大好きだろう、なんせコロッケの衣だけを剥いで食べるようなやつなんだ。今調べてみたら日本にも専門店がいくつかできてるみたいだ。

 

ピザといえば、地獄先生ぬ〜べ〜のピザ生地プレーンの上に給食を載せる場面と、食いしん坊の喰いワングランプリ2日目の超巨大ピザにピーマンに見せかけた青唐辛子が入って主人公と主人公のライバルが苦しめられたのを思い出すなぁ。

 

アメリカのシカゴピザも食べてみたいなぁ。でもアレをピザと認めてもいいんだろうか。

イタリアの本場のピザもいいなぁ。イタリア行ったことないけど。嫁曰く美味しいけどサラダのドレッシングとパンにつけるのがオリーブオイルしかないのが致命的にダメなのだそうだ。ごまドレ最高だそうである。

アメリカ人はピザのトマトソースを野菜カウントするから、アメリカではピザは野菜扱いなんだとか。いやいや、五大栄養素の概念ないんかいな。

アメリカのピザとイタリアのピザはもはや別物なんだろうなぁ。シカゴピザとかもはやピザやなくてパンやし。アメリカの超巨大なピザと縮尺の間違いかと思うようなコーラのサイズ、あの巨大ピザは石窯には入らないだろうな。アメリカのピザとイタリアのピザは、日本のラーメンと中国のラーメン、日本のカレーとインドのカレーみたいな関係なのだろうか。ならそのどちらもが混在する日本のカオスっぷりですよ。

 

あぁ一昨日(書いてるうちに日をまたぎました)食べたばっかりなのに、なんだかまたピザが食べたくなってきた。

次はイタリア式のピザか?それともシカゴピザか?調べてみたらシカゴピザも日本で食べられるみたいだ。うちの息子はシカゴピザをどうやって食すのだろうか。

 

ピザー食べー行こうー♪

はにーかんで行こうー♪

『フランス人は10着しか服を持たない』日々の生活に喜びを見出だす

本の感想。

 

「フランス人は10着しか服を持たない(ジェニファー・L.スコット/神崎朗子)」 という本を読んだ。

 

タイトルからはフランス流生活術の話かと思っていた。確かに表題のワードローブを10着にするとかの生活上の実践が語られる。

 

モノを片付ける場所を決めておくとか、

必要以上にモノを買わないとか、

スーパーでまとめ買いじゃなくいろんなお店を回って買い物するとか、

食事をするときは味わいながら楽しく語り合いながらを心がけるとか、

自分に似合うメイクとか姿勢とか髪型とか香水を心がけるとか、

家を出る前に鏡の前で全身をチェックするとか、

一番いいモノを大事にとっておくんじゃなく毎日使うとか、

プライベートのことじゃなくてアートや哲学やイベントなどの話をしてミステリアスな雰囲気をまとうとか

 

でも大事なのはその生活術なのではない。

 

筆者は学生時代にパリに留学し、そのホームステイ先のマダム・シックとその一家の生活からこの生活術を学ぶ。

そして故郷のカリフォルニアに帰り、元のアメリカ式の怠惰な生活に戻ってしまってから、このマダム・シックの教えを思い出し、実践し始める。

すると気づくのだ、食事を味わうことに、路地裏あった知らなかったお店に、自分のスタイルにあわせたモノを身に纏うことに、つまり、日々の何でもないことを楽しみながら自分らしく生活することに。

 

日々の何気ないことを楽しむ。

言葉にするのは簡単だけれども、なかなか難しい。

日々繰り返すこと、仕事や家事なんかは「作業」になってしまいがちだし、本当に考えてから行かないと「本当は必要ないもの」をたくさん抱えて買い物から帰るだろう。

でも、この本はいくつかのことを示唆してくれている。

服を10着しか持たないことが大事なのではなく、本当にお気に入りの服を10着揃えることが大事なのだ。そうしたら、毎朝の服選びが、作業から楽しみに変わる。本当に大事なものに囲まれて毎日を過ごす、そのためには自分に合うモノを選ぶことも必要だ。

マダムがイチゴのタルトをつくるときに、適当にイチゴを並べた筆者を嗜め、きちんと向きを揃えて並べるよう伝える場面がある。食べるために仕方なく料理をつくるのではない、食事を味わい、楽しむために、こだわりをもってつくる。それが楽しむことにつながる。

 

この本を読んで、ふと考える、自分は毎日のしていることを作業にしてはいないだろうか。

そうなっている部分もあるし、そうでない部分もある。

でもひたすら玉ねぎを飴色まで炒めてからカレーをつくるときのように、ローストビーフをつくるときのように、楽しんで料理をする楽しみを思い出す。

スマホをいじりながら子どもたちに「パパ」と呼ばれるのではなく、一緒に公園を駆け回り、その表情や仕草、動きを噛みしめているときを思い出す。

 

そう、僕も自己流の日々の生活を楽しむ術を持っている。それを忘れないようにしよう。

 

邦題は「フランス人は10着しか服を持たない」だけど、原題は「Lesson from MADAME CHIC」…誰がこんな題名にしたんだとの想いが拭えない。

最後にもう一度言うが、この本はただの生活術ではなく、日々の生活を楽しむための教えが詰まった本なのだ。

 

 

肌とサマータイムと食べ物と

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僕の遺伝が原因なのか、娘と息子も肌が弱く、僕も含めた3人で皮膚科に通院した。以前もブログに書いた、全ての原因をストレスに求めるあの医師のところへだ。

医師に全てはストレスですよといわれる - メガネくんのブログ

 

季節の変わり目なので、「冬になってきたから乾燥か原因ですかね?」と話すと「感想は違いますね。乾燥が現れるのは12月になってからですね」と開口一番にピシャリと否定される笑

 

それから睡眠の話になり、医師は「秋から冬になるにつれ、日が沈むのが早くなる。人の身体は太陽に合わせて活動するようにできている、日が沈んだら寝ないといけないんです。冬になっても寝る時間は変わってないですよね(断定)。だからそれによるストレスが原因です。それを経験的にわかっていたので、ヨーロッパではサマータイムが導入されていたんですよ。夜の9時くらいまで日が沈まない国もありますよね」と自説を展開、それに対して「確かに、スペインなんかが夜の9時くらいまで日が沈まないですよね」と同意しつつ情報を補足すると少し好感度アップ!

さらに口元が荒れている娘に対して、医師は「チョコレートなんかのお菓子や菓子パン食べていませんか?消化器官、胃の疲労が上がってきてるんです、ストレスがかかっているんです」とこれまた自説を展開。僕はさらに好感度ポイントを稼ぐべく「そうですよね、口からお尻まで一本の消化管で繋がっていますもんね」とアシストすると、医師は我が意を当たりと言った様子でにこやかに頷いていた。

こうして初めて医師に叱られずに診察を終えることができた笑。懐かしきときメモのように好感度が目に見えて分かるわけではないけれど、攻略パターンらしきものが見えてきた。

 

それにしてもストレスのことは民明書房並みに詳しく教えてくれるけれど、いつか医師が僕の仕事なんかでのストレスを解消する方法を教えてくれる日が来て欲しいというのが正直な本音だ。

 

ただうちの娘は医師の話をしっかり覚えていたようで、口元の荒れが治るまでは、大好きないちごフランスもチョコレートも食べずに、夜も早く寝ていた。

この医師が人気な理由が少しわかった気がする。