本の感想。
「見はてぬ夢を(山本優子)」という本を読んだ。
左近充孝之進(さこんのじょうこうのしん)という人の一生を描いた小説だ。
コトバンクには以下のように記載されている。
1870-1909 明治時代の教育者。
明治3年5月2日生まれ。成人後に失明。鍼(はり),マッサージをまなび,明治32年神戸で開業。38年点字活版器をつくり,神戸訓盲院(現兵庫県立盲学校)を開校,39年日本で最初の点字新聞「あけぼの」を創刊した。明治42年11月11日死去。40歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身。東京専門学校(現早大)卒。
盲学校に勤務し、点字技能師試験のために勉強したこともあるので、彼が日本最初の点字新聞「あけぼの」を発行したことや、今の兵庫県立盲学校のもとになる学校を開いたことは知っていた。また彼と妻増江が発行した「点字独習書」の実物にも触れる機会があった。それが恥ずかしながら、今まで彼を描いたこの本を読んだことはなかった。
月並みな表現かもしれないが、読んでいて鳥肌が立った。
明治の時代に、目の前亡くなった人が、盲学校を建て、盲児を集めて指導し、点字新聞を発行することがどんな意味を持っているのかを、僕は理解できていなかった。
当たり前だ。僕は高校時代の受験のときに日本史を学んでいたように、ただ表面的な文字をなぞり覚えていただけだった。
この本は小説である。
彼に関する資料の多くは残ってはいない。
それでも彼の悩みや苦難が、想いが肌で感じられる。
読み終わってまるで『燃えよ剣』の土方歳三、いや、バラガキのトシのようだなと思った。
高校時代の日本史の授業で聞いた言葉を思い出す。
「君たちの学んでいる歴史は、あくまでも歴史という本の目次ですよ」
その通り、その年表の行間には果てしのない人々の想いの積み重なったドラマティックな瞬間がある。歴史は名の知られた人物だけのものでなく、そういった無名の人も含めた偶然のうねりの中で生まれていくんだ。そう、ふと思った。
考えてみれば、偉人についてなんて、その業績や伝記を通してのポジティブな面しか知らない。「遠き落日(渡辺淳一)」 を読んで、野口英世のクズっぷりには呆れを通り越して笑ってしまった。当たり前だけど、人にはさまざまな面があるし、その本心や性格を隈なく知ることなんてできない(僕にも、僕自身も認知していない一面がきっとある)。
願うなら、もう一度、彼、左近充孝之進の作った「点字独習書」に触れる機会があるのなら、彼とその周りの人たちの想いが積み重なりを想像しながら、その本に触れてみたい。そう思う。