娘の話。
先日、『言語の本質(今井むつみ/秋田喜美)』という本を読んだ。
今井むつみさんの本は『ことばの発達の謎を解く』も面白かった。
どちらも生まれたばかりの赤ちゃんが、どうやって言葉を覚え、理解し、話す、伝えるようになっていくのかを教えくれる本だ。
詳しい説明は省くが、人が言葉を覚えていく上でオノマトペ、いわゆる擬態語や擬音語というものが1つのキーワードになっている。
そしてうちの1歳半の娘はちょうどそのオノマトペを多用している時期だ。
犬は「わんわん」、猫は「にゃーにゃー」だし、ゴミをすてるときは「ポイっ」するし、片付けするときは「ないない」するだ。
以前Twitterかなにかで、「ワンワンやニャーニャーのような赤ちゃん言葉ではなく、犬や猫という言葉で教えた方が覚え直さずにすむから便利だよね」という意見を見かけたことがある。
そのときは一理あるのかもと思ったが、いやいや無駄のように思えるワンワンなどのオノマトペが、実は動詞の働きや助詞の使い方を覚えるのに一役かっているのだ。
そんなことを本で学ぶと、3人目の子どもが話す「にゃーにゃー」に感慨深さを感じる不思議さ。
そして言葉はだんだん場面や状況に合わせて複雑さを増し、ついには音自体は意味を失う。
僕たちは同じような動作について、場面や意図に応じていくつもの表現を使い分ける。
それに僕が仕事上で使う「特別支援教育」や「個別の教育支援計画」「実態把握」なんて、表意文字としての漢字の意味はあるけれど、音としての意味はない。
言葉の進化というか変遷というかそんなことを学ばしてくれた本だった。
1歳半の娘には魔法の言葉がある。
「どーぞー」
娘が絵本を持ってそう言うと「本を読んでちょうだい」の意味になる。
娘が食卓に座りながらそう言うと「あのお肉をおかわりしたい」の意味になる。
娘が上着を持ってそう言うと「お外にお出かけしたい」の意味になる。
なんにでも使える便利な魔法の言葉「どーぞー」
その「どーぞー」もいつしか「ちょうだーい」や「読んでー」、「○○したいー」なんて場面にあった言葉に変わっていくのだろう。
「頂く」とか「頂戴する」とかみたいな敬語になるかもしれない。
「どーぞー」の魔法はいずれ消えてしまう。
今しか使えない魔法の言葉
当の娘はそんな先のことなんて知る由もないし、そんな先の大人になった娘は今の魔法の言葉のことを覚えてなんていないのだろうけれども。
そんな魔法の言葉をこうやって記録しておくことで、いつか娘に伝えたいなぁ。