メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

アメリカで触れた当たり前の優しさ

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本を読んで思い出したグアムでの体験についての話。

 

ライトハウス(吉田 州史)」 という本を読んだ。

視覚障がい者を主人公にした小説…なのだと思う。

ただ個々のエピソードがとても具体的で盲学校で働いていた自分にはとてもリアルに感じられた。もしかしたらいくつかのノンフィクションを組み合わせた本なのかもしれない。

 

この本の中で主人公がアメリカ旅行中に博物館へ立ち寄る場面がある。

そこで車椅子の男性が何かわからない大声で叫ぶと、周囲から人が集まるのだ。

周りにいた通行人や観光客と思われる数人が車イスの周りに集まり始めた。集まった人たちは少しのあいだ打合せをした後、中心部にいた 4人が車イスのフレームの四方を掴み、掛け声とともに持ち上げて美術館の階段をゆっくりと登り始めたのである。そのとき何が起こったのか理解できるまで少し時間がかかった。しかし、その行為の意味が解ってからは、見ているその光景が啓壱にはまるでスローモーションのように感じられた。 4人は一度踊り場で車イスを降ろした。そして後ろから一緒に階段を登ってきた他の数人の中から、また別の 4人が志願して車イスを持ち上げた。交代した 4人の中には隆々としなやかな肢体のスポーツ選手であろう若い女性もいた。そしてその 4人は、最上段まで一気に大柄な男の乗った車イスを運び上げた。交代した後の 4人と、最上段まで一緒に上がってきた最初の 4人は、車イスの男性とさりげなく握手を交わした。そして何事もなかったように、その場を立ち去っていった。

その場面に主人公は羨望と嫉妬を覚える。日本だったらこんな風に障害者が自己主張できるのか、周りがすぐさま助けるために動けるのかと。

そんな主人公にアメリカに住む妻の友人はこう伝えるのだ。

「私がこっちに来て感じたのはね、アメリカ人は良くも悪くも合理的なの。行政がエレベーターを付けるのを待つ暇があったら自分たちで担いだ方が早いし合理的だと思っている。『ヤンキー』の一般市民は『本音』と『建前』を上手に使い分けられるほどクレバーじゃないから、本気なのよ。『オレは良い人間になりたい!』って本気で言うの・・・。日本でそんなこと言ったら職場とか学校で浮いちゃうでしょ。でも彼らは本気なのよねぇ・・・。」

 

 

この場面を通して学生時代に行ったグアムを思い出した。

 

先輩からの紹介で聴覚障がい施設に入所されている方(名前がないとややこしいので仮にAさんとする)と行ったボランティア旅行でグアムを訪れたのだ。

Aさんは60代の男性、車椅子で聴覚障がいがあり、僕とのやりとりは基本手話になるがお互いに手話は拙いため、簡単な単語中心のやり取りになる。

一方、グアムは観光地とはいえ、日本語が通じず英語のみでやり取りせざるを得ない場面も多かった。

どちらも拙い僕は即席の通訳になり、大変な思いをしたのだけれども…その話をすると長くなるのでまた別の機会に

 

そのグアムでAさんは「グアムなんだからビーチに行って海で一日中浮いていたい」と言う。

車椅子である。

日本のように浜辺まで舗装されたビーチではない(僕たちが訪れたのは節約のためもあったのか、観光客ひしめくメインのビーチではなかったし)。

大学生だった僕は「まぁなんとかなるか」の精神で、大きな浮き輪2つを背負いながら車椅子の前輪を上げ、砂浜へ突入した…がなかなか進まない。

ビーチの途中で車椅子で立ち往生しかかっているとマッチョでタトゥーバリバリのお兄ちゃん2人がやってきてなにしてるんだ?と尋ねてくる。聞いてみると「ここはサーフィン専用のビーチだから海辺までは遠いしあんまり泳いでいる人もいないぞ」とのこと。

でも「泳ぎたい」というAさんの言葉をつたえると、「じゃあ手伝ってやるよ」

そう言って、僕がAさんを抱えると車椅子やら浮き輪やらリュックやらをビーチまで運んでくれたのだ。当然運ぶだろ?と言わんばかりに。

そして「帰りも大変そうだからまた声をかけろよ。俺たちはサーフィンしてていないかもしれないけど、誰かに言えば手伝ってくれるぜ」的な内容のことを言って去っていったのだ。

そこで2時間ほど海にプカプカ浮いて(流されないようにAさんの浮き輪の紐と海底に刺さった杭を両手に持ったままでいるのは大変だった)

またそのマッチョのお兄ちゃんたちに声をかけて手伝ってもらい、真っ赤に日焼けしたAさんと僕は無事にホテルまで帰ることができた。

 

また別の日には貸切タクシーで観光しているときに訪れた海中水族館で、なんとエレベーターもエスカレーターもないという。

20メートル、30メートルもの螺旋階段を下っていくのは正直僕一人では厳しく、「ここは見学できないかも…」と思っていた僕たちにタクシーの運転手さんが「僕が車椅子を運ぶから、あなたが彼(Aさん)を運べばいいよ」との申し出があり、Aさんは快諾。

不安を抱きながらも、折り畳んだ車椅子を運転手に任せ、僕は文字通り腕が千切れそうな思いをしながらAさんを抱えて階段を降り切った…だがなかなか車椅子が降りてこず、

やっと降りてきた運転手は「車椅子がこんなに重いなんて知らなかったよ」と悪態をつきながら降りてきたのだ。

 

多分、この本にもあるように、アメリカの人たち(という大きな主語でくくるのは本当は良くないのかもしれないけれど)は、良くも悪くも合理的で、行政がエレベーターを付けるのを待つ暇があったら自分たちで担いだ方が早いし合理的だと思っているのかもしれない。

だって平等とか公正とかとは関係なしに、自分たちで動いた方が早いのだから。

 

 

そんなアメリカでの経験を思い出した。

 

そしてホテルの麺デロデロのパスタよりも肉厚ジューシーな本場のマクドナルドのハンバーガーの方が美味しかった。