仕事の話。
信頼できるベテランの方が退職された。
「それはちょっとおかしいんじゃないかな」
「その理由はちょっと納得できない」
流れてしまいそうな雰囲気に呑まれず、きちんと自分の芯を持って対応し、僕たちが何を大事にしなければならないのかを問いかけてくださる方だった。
それに子どもたち一緒にバカをやって遊んでくださる方だった。
率先して仕事を取りに行く方だった。
いろんなことに気がつき、テキパキ仕事を片付けられるベテランの方が退職された。
「やっといたよ」が口癖。
いつも朝にポットのお湯を入れ、帰る前にポットのお湯を捨ててくれていた。
子どもたちも、大人もみんなをカバーしてくださる方だった。
子どもたちから人気の若手講師が転勤した…残留を希望してくれていたのに。
同時のナナメ上の視点から意見を言ってくれる方だった。
彼の教室は子どもたちの笑い声と、子どもたち楽しませるグッズやアイデアで溢れていた。
昼休みは率先して子どもたちとドッチボールで遊んでいた。
惜しい人材をなくしてしまった。
僕たち教員の世界にも人事評価があるのだけれども、もちろんポットのお湯入れ替えやドッチボールの頑張りなどは評価に反映されない。
でも、叱られたり失敗した子のケアやみんなで必死にドッチボールを楽しむ、全力で遊びに取り組む姿勢などは学校の雰囲気に大きく影響する。
お湯の入れ替えやシュレッダー機のゴミ袋の交換、プリンターや印刷機の用紙の補充だって機械自動でしてくれるわけじゃない。誰かがやっているのだ。それがあるのとないのとでは、職場の雰囲気が大きく変わる。
僕たち教員の世界でも営業成績ではないが、学校を経営するという視点が導入されている。
「学校経営計画」というその書類には、さまざまな目標を達成するために、例えば研修会を⚫︎回実習するやアンケートで肯定的な回答が⚫︎割以上など数値で評価可能な目標が並ぶ。
でも直接的な売上金額のような成果が目見える世界ではない。
個人事業主みたいな意識の個々の教員が集まるのが学校なのだ。
研修会をしたり、制度やシステムを構築することに意味がないとは言わない。
けれど売上高や利益率という全員が納得できる評価軸はなく、個々の教員がそれぞれの評価軸をもっている。
だから最も大事なはずの風土や土壌、雰囲気をつくっていくための目標は、数値で客観的に評価できない故に「学校経営計画」には載らない。
自分を変えるのは簡単だ。
自分がやればいいだけなのだから。
「⚫︎回以上実施する」数値の目標も簡単だ。
達成するためにはやればいいだけなのだから。
でも他人を変えるのは大変だ。
自分だけではどうしようもない。
ましては相手は多種多様な年代で個々の価値観を抱いた大人なのだ。
心で見なくちゃ、
ものごとは
よく見えないってことさ。
かんじんなことは、
目には見えないんだよ。
目に見えない大切なことを変えるためには、心で見ないといけないらしい。