本の話。
『子どもの「やりたい」を引き出すコーチング』という本を読んだ。
教員という仕事柄、コーチングに関する本はいくつか読んだことがある。が、「コーチングとはかくあるべし」みたいな固い感じではなく、子育ても交えたふわっとしたエピソードの中にコーチングのエッセンスを感じられるような本だった。
タイトルにある「ゆっくり行けば、遠くまで行けるよ」は本の中に出てくる言葉である。
このブログを書いている日の朝は機嫌が悪く「クソジジイ」と言ってくる娘を叱ってモヤモヤしながら出勤してて、その途中にこの言葉と出会った。
そのエピソードの中で著者の同僚が、「子どもに求めるものは『丈夫長持ち』ですよね」と言う。
僕自身も教員という立場で同僚や保護者と話す中で同じようなことを伝える。
「みんなわが子が生まれてきたときには、元気に大きくなってほしい、それだけを考えているのに、いざ子どもが大きくなると、勉強についていけてるのか、友だちと仲良くできているのか、部活で活躍できているのか、受験は大丈夫か、彼氏彼女はできたのか、就職は…とどんどん期待と不安が膨らんで、つい良かれと思って口を出しすぎてしまう…」みたいな話。
でも視点をもっと高くに移してこれまでの道とこれからの道も含めて眺めてみると、「本当に今この瞬間にそのことにこだわらなくていいんじゃないかな」と思えてくる。
速く進むことが人生の目的につながるとは限らない。
子どもを育てているときには、必ず何がしかの課題があります。
――いつになったらおむつが取れるんだろう。
いつになったら言葉がしゃべれるようになるんだろう。
いつになったら「笹の葉」を「たたのは」って言わなくなるんだろう (娘はこれをお友だちによく指摘されていました)。
いつになったらカタカナのツとシを間違えずに書けるようになるんだろう。 いつになったらクラス便りに採用されるような文章を書けるようになるんだろう。
常に次のことを考えて、まわりもちょっと見回して比較して、これでいいんだろうかと思っているような気がします。あんまり気にしないようにはしているけれど、心のどこかで「これでいいんだろうか」とチェックせざるを得ないような自分がいます。自分自身も、先のことを考えて、いつも何かの準備をして、いつも何かに追われながら逃げ切ろうとしていた、そんな学生時代だったからかもしれません。
でも、おむつや言葉、笹の葉の発音も、いつの間にかあっけないほどカラリとクリアされているのに気がつきます。だったら、それらを気にしているさなかに、もっと楽しんでもよかったのかなと思います。今ここにある子どもの言い間違いや書き間違い、こだわりや頑固さ、飽きっぽさ、頼りなさ、いい加減さ、いろんな幼さや拙さを、楽しんだり、ちょっと余裕を持って味わったりすることができたら、子育てはもっともっと楽しいものかもしれません。
帰ってから娘が友だちとトラブルになった話を聞く。縄跳びを貸してと友だちから言われたけど、もうちょっとしたかったからそのまま続けていたら、それを見ていた別の友だちが娘から縄跳びを奪ってその友だちに渡したそうな。
帰ってから妻とどうしたらいいかを話したそうで、「もうちょっとしたいからあと10回飛んだら貸してあげるね」と次からは言うらしい。
「えーパパやったからあと10,000回飛んでからって言うかな」とボケると、「いや、そんな待たれへんし!」と突っ込む娘。
子どもたちが寝静まった後に妻とこんな風に余裕を持って、ゆっくり話を聞かないといけないよなぁ(まぁ無理なんだけれど笑)と話す。
うん、わが家もゆっくり行かねば。