36歳。
「次の誕生日に欲しいものは?」と妻に聞かれて答えに困る。
いや、別に食べたいものや欲しいものがない訳ではないのだ。
元々そんなに外食するよりは、家であり合わせのものを作る方が多かった。
でもコロナ禍の影響や子どもたちのこともあり、マクドナルドやびっくりドンキー、くら寿司、ガスト、餃子の王将(いわゆる京都王将)、丸亀製麺くらいしか外食しない。
というかお高いお店は、妻と二人のときくらいしか行けないのだ。
衣服も学生や働きはじめた頃のようにショップを回って、古着屋を巡ってということがなくなった。というかどうせ汚れるし、仕事の出退勤はスーツ、勤務中はジャージだし。なんなら学生時代の服をまだ着てたりするし(妻にはそろそろ大人の服にしたらと言われるが笑)。
買ってるものといえば本くらいだ。でも好きだった古本屋巡りもなかなかできなくなった。Amazonやメルカリでポチポチするだけだ(そういえば先日ビブリアに登録している本が2000冊を超えた。妻には書斎に積もっていく本をどうするのかと度々聞かれているが…笑)。
最近の大きな買い物は、ドラム式洗濯機とワゴンタイプの車だが、それも欲しいからというよりは故障や必要に迫られてといった理由から。
コロナ禍で飲み会もないため、お小遣いはお菓子に消えていくだけだ。
付き合い始めてから12年、何代か入れ替わった財布も、ネクタイも定期入れも名刺入れもシャツも革靴も、妻からプレゼントしてもらったものだ。物持ちがいい方なのだ。
ちなみに妻もあまり物欲はないようだ。
誕生日プレゼントに欲しいものはないようである。
一方で娘と息子は物欲にまみれている。
「ごはん何にしようかな?」と妻と話していると、シュババババッと現れ、「くら寿司!」「マクド!」「王将!」と希望の外食店を連呼する。
クリスマスが終わってからすぐに来年のクリスマスプレゼントでお願いするものを考えていた笑。
最近は欲しい気持ちを抑え込んで帰ってくれるようになったが、家電量販店のおもちゃコーナーへ行くと、何時間でも飽きずにおもちゃを眺めている。レゴやトミカ・プラレールのカタログを持ち帰り、「これ欲しい!」「これは持ってる」「あっこれも欲しい!」と全ての商品にコメントを返している。その購買意欲をCMや雑誌の付録DVDがガンガン刺激するのだ。恐るべしバンダイ…。
もちろん我が家はアラブの石油王ではないので、無尽蔵に欲しいものを買い与えることはできないし、そもそもしない。
トーマス、アナ雪、プリキュアという変遷を辿ってきた娘は、プリキュアをベースにしつつ、ミュークルドリーミー、すみっコぐらし、シルバニアファミリー、リカちゃん、ラブライブ、ワッチャプリマジ、ポケモン、シンカリオン、妖怪ウォッチ、アイカツプラネットと多方面へ触手を伸ばしている。
恐るべき食欲と雑食性である。
一方の息子は、プラレール、トミカ、恐竜、ブロック・マグフォーマーをベースにしつつ、姉に刺激され、プリキュアごっこや、シルバニアごっこに勤しんでいる。
子どもたちを見ていると、ラカンの「欲望は他者の欲望」という言葉を思い出す。
彼らは他人と混ざり合う中で、「●●ちゃんは昨日くら寿司に行った」「●●くんは福井の恐竜博物館へ行った」「●●ちゃんはすみっコぐらしの映画を観に行った」という要望の影響を受けて、その欲望を自分の欲望にしているんだろう。
そう考えると、僕も自分のファッションに自信がなく(今も妹からの評価はないが笑)、学生の頃は他人の影響をモロに受けながら(つまりは真似、パクリながら)、なんとなく自分の服を模索していた。あの頃は衣服への欲が強く、何日でも古着屋を巡っていたりしたのだろう。
わが子たちは、友だちやテレビ、DVDから欲望という刺激を受け取り、それを我がの欲望としているのだ。
だからある程度「自分はこう」というアイデンティティのようなものが確立されるまで、彼らの欲望はとめどなく続くのかもしれない。