メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

「黄色い服を着ればいいじゃん」という発言のもやもや

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Twitter上で点字ブロックを塞いだり、歩きスマホ白杖を持つ視覚障がい者が気付かれずにぶつかったりすることについて、『視覚障害の方には健常者が共通で認識できる色の服を着てもらうとかは難しいのでしょうか?例えば黄色とか。。』というツイートがあったそうだ。

 

 

 

投稿された方は新宿の人混みの中で、周りの人から気づいてもらうため、視覚障がいの方のための安全を考えて提案されたのだろう。

確かに全員が気付くかどうかはともかく、上下黄色、帽子も靴もネクタイも黄色でおさるのジョージでいう黄色い帽子のおじさんが歩いていたら嫌でも目立つし、その黄色の出立ちがもし視覚障がいのアイコンやシンボルとなっているのなら今よりも周りの人が気づいてくれるようになるだろう(提案された方は特に色にこだわっているわけではないよう)。

 

でもその提案を圧倒的少数派の視覚障がい当事者の方々自身がどう受け止めるかということや、多数派が少数派に要求しているという関係性について想像できていないという意味で差別的なものでもある。

 

投稿者の方と視覚障がい当事者の方々とでいろんなやりとりがあって、投稿者の方が「じゃあ初心者マークも、高齢者マークも差別的なんですか?」「制服もワクチンも(優生思想的な)ナチス的なものなんですか」みたいなやりとりがあったけれど、多分その通りで、大抵のルールには差別的で優生思想的な面が潜んでいる。

もちろん、初心者マークや白杖マタニティマークのように、それを法律や条例という形で明文化して強制するのか、各個人の選択に任せるのかという違いはある。

でも現実的な対策や効果の度合いと、その案を当事者の方をはじめ人がどう感じ考えるのかは別の話なのだ。世の中の物事はいろんな見方があって、複雑に絡まり合っている。

 

 

僕は個人的に視覚障がいの方々やその保護者の方と関わってきた経験がある。

白杖を持つ=視覚障がいがあるのだと周りに伝えること」だから白杖を持つまでに葛藤がある人が大半だ。

白杖を持っていることで、視覚障がい者だと周りから判断され、いろんな被害に遭うケースがある。

視覚障がいといっても、視力や視野、暗いのが苦手、明るいのが苦手など見え方に違いがあるし、一人の人間なので当たり前のことだけれども価値観や感じ方、考え方は違う。

 

 

この社会の仕組みやスタンダードは、基本的に多数派の価値観や考え方をもとにつくられている。

それに人は多様性ということを知ってはいても、まずは自分の価値観を通して物事を考える。

だから大半の人は、無意識のうちに少数派の立場ではなく多数派の立場から考えてしまう。

そこに差別的な優生思想的な思考が出てきてしまうのだろう。

少数派が要求するのなら少数派が変わればいいと考えてしまう。

というか、弱者で少数派の立場にある方の多様性を尊重するということは、それまでの自分を含む多数派のスタンダードを変更しなければいけない、ある意味では、めんどくさいと感じてしまうことなのだ。

でも変えるべきは人ではなく社会の仕組みなのだ。

 

 

「優生思想を考えるうえで、いま障害があるひとに対してどう接するのかという『差別』の問題とやそれ以前に生まれてくる障害者を減らそうという優生思想思想的な考え方、そのふたつは切り離して考えないといけないと思うんだよ。それでふたつ目の点でいくと……、別に研究たわけじゃないけど、多くのひとの中にやっぱり優生思想はあるんじゃないかなあ」

「うーん、そうかなあ、本当にそう思う? じゃあ、白鳥さんの中にも優生思想はあるの?」
「うん、あると思う。いや、あった。例えば、俺も盲学校にいるときは、もう人らしくないことに憧れるみたいなとこはがあって、例えば全盲のひとがスタスタどこでも行きたいところに行くとか、魚料理をきれいに食べられるひとがいると、すごいな、羨ましなと思ったり。その一方で、できないひとに対してマイナスのイメージがあったんだよ。裏を返せば、盲人らしくない行動の根底にあったのはら『健常者に近づくことはいいことだ』という一種の差別意識や優生思想だったのかもしれない」
「そっか……」。思考がめまぐるしく動きら声を絞り出すのがやっとだった。
「うん、だから優生思想なんてとんでもない、差別はダメだ、って言うんじゃなくて、程度の差はあれ、差別や優生思想は自分の中にもある、まずはそこから始めないといけないと俺は思う」

『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく(川内有緒)』

 

 

 

こんなことを書いている僕の中にも、差別的な優生思想的な思考はきっとある。

「差別はいけません」そんな小学生でも知っているフレーズは、誰もが知っているし、差別をよしとしない価値観を共有できる社会にしたいと切に思う。

一方で差別的な優生思想的な思考は誰しもが持っている。

差別はたいてい悪意のないひとが無意識のうちによかれと思ってしてしまうものなのだ。

なんというか人間ってそんなふうに矛盾したものなのだ。

 

 

その差別についての話と、実際問題の発端となった新宿駅の問題をどうやって解決するかはまた別の問題だ。

申し訳ないが今現在の僕はみんなが納得する誰も傷つかないでも効果的な案を持ってはない。

みんなが気持ちよく納得できる案なんてものはないのかもしれない。

 

 

 

みんな違ってみんないいのみんなには、想像しえなかった多種多様な人がいる。

でもそんな多様さを受け入れる共生社会を目指すのなら、モヤモヤを乗り越えるように話し合っていくしかないんでしょうね。なんて考えています。

 

 

 

 

あ、おすすめの本も紹介しておきます。