学校行事の打ち上げでの話。
自分ではまだまだ若手と思っていたけれど、そうではなかったらしい。
「おい、メガネ!」
と言われていたのが、いつのまにか
「メガネさーん♡」
と若い子たちに言われるようになっていた。
ここで来るのか3度目のモテ期。
前のときも彼女がいるときだったし、これで3度あるというモテ期を全て使い果たしてしまった感が…笑
かと言ってグイグイ来られても困ってしまうのである。
学生時代は惚れっぽい性分で、次から次へと玉砕し、また惚れてを繰り返してきた。
ここぞというときには自分からグイグイいくのである。
でも相手から来られると身構えてしまうのだ。
考えてみれば、大学生の塾講師で生徒からモテたときも(基本的には彼女たちの勘違い&妄想からくるもの、高校生だった彼女たちは恋に恋するお年頃なのだ)、社会人になってから付き合いでコンパにいっていたときも、彼女がいたか振られたばかりで傷心中だったので、自分からグイグイいかない余裕があったのがモテ期の理由だったのかもしれない。
なぜ高校生のときにその余裕がなかったのか…
いや、高校生だからこそそんな余裕はなかったのかもしれない。
世の中には需要と供給があって、自分を必要としてくれる層を求めていくのか、自分が恋焦がれる層のニーズに自分を合わせていくのか、どちらかの戦略を練ることも大事だろう。
ありのままの自分を好んでくれる人もいるかもしれないし(イケメンならそのハードルは限りなく低くなるのかもしれないけれど)、それは顔かも性格かも気遣いかも性欲かも趣味かもしれないが、自分のこと(強み)を把握しておかないといけない。
というか強みと思っていないことが強みになることもある(世の中にはかなり歳上や太った人が好きな人もいるのはいるのだ)。
それだけでなく、求める相手の好みもリサーチしておかないといけない。性欲や妄想だけで突っ込んでも怪我して終わることも多い。
かと言って、付き合いたいあまり、無理して相手に合わせるとどこかで無理が出てしまうのかもしれない。
その辺のバランスをどうすることなのかなということで、恋活は就活と似ているんじゃないかなと思う。
そしてこれは大事なことなのだけれども、どこに需要と供給があるのかはわからないから、例えば学校でも人気のない教員がいても、その人を排除するのは間違っているかもしれないと頭のどこかで思っておかないといけない。
仕事が全然できないし、子どもに熱心に関わらない教員が、引っ込み思案なアニメ好きな子どもと仲良く話しているかもしれない(これは実際にみたことある)。
スポ根バリバリの体育会系の人に合う子どももいるし、グイグイこられると引いてしまう子もいる(体育会系教員を得意とする子も苦手とする子も多い)。
鉄オタの教員もいれば、ギャンブル大好きな教員もいる、女子高生大好きな教員もいるだろう、世の中のメインストリームとして受け入れられないそこに、ニッチなニーズが隠れているかもしれない。
世の中何がどうなるのか、わからないものなのだ。
しかし人生におけるモテ期は3度しかないらしい。後は、あの時のモテ期は良かったなぁと振り返る余生を過ごすのか…