メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

偉人の素顔

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小さい頃に読んだ伝記を振り返って思った話。

 

伝記に描かれる人たち。

そこには夢や目標に向かって努力し続ける、困難な壁に突き当っても諦めない、そして偉業を達成する歴史に残る人たちの姿が描かれている。

子ども心に、漠然と、僕は、「世の中にはこんな完璧(パーフェクト)超人のようなすごい人たちがいるんだ。その人たちは自分なんかとは違う存在なんだと思っていた。

 

僕は子どもの頃から勉強ができてクラスのリーダー的な立ち位置にいた。かけっこが速い、絵が上手、みんなが持っていないスーファミのソフトを持っている、ケンカが強い、そして勉強ができる、そんな子たちはクラスの中でちょっと尊敬されるポジションになることが多いのだろう。

それが小学校中学年からはじめたミニバスがきっかけで少し事情が変わってくる。ミニバスの世界はバスケットボールが上手かどうか、強いかどうかの世界だ。そして幸か不幸か、僕の所属していたチームは、かなり強いチームで、県外の招待試合なんかにも選ばれるようなチームだった。残念ながら僕にはスポーツの才能はなく(僕はコツコツ繰り返して練習して身につけるタイプのようだ)、バスケの強さが全ての世界では今までのヒエラルキーの位置を維持できなかったようだ。そんなバスケの世界は中学まで続き、いわゆる進学校に進んだ高校時代は、勉強でのアドバンテージを失い(進学校は、勉強ができて、かつ、努力できるやつが集まってくるのだ)、僕は自分自身に自信を持たなくなっていた。

そう、ちょうど周りの同級生に対して、かつての電気に描かれた偉人に対するような気持ちが芽生えていたのだろう。

周りを気にしてアンテナを張り、でもそのせいで周りのことに気付いて手伝い、その度に「優しい」と言われては自己嫌悪していた。

優しさコンプレックス - メガネくんのブログ

 

そして大学時代になんやかんやあって、そんな優しさコンプレックは解消されるんだけれども、それまでは周りのすごい人は、何でもかんでもすごいと思っていた。

だけどそうじゃなくて、誰にもなにがしかのコンプレックスがあって、何かに悩んでいて、できることだけじゃなくてできないこともある。

そんな当たり前のことに気付けたこともなんやかんやのひとつだ。

 

ちょうどそんな大学時代に読んだ野口英世の本がある。

そこには、幼少期の火傷と治療から医学を志し、研究に命を捧げた偉人の姿はなかった。

欲にまみれ、切な的な快楽を求めて、自分を糧にギャンブルに興じ、たまたま成功と言われるような業績を上げた生々しい顔が描かれていた。

遠き落日(上) (講談社文庫)

遠き落日(上) (講談社文庫)

  • 作者:渡辺 淳一
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: 文庫
 

当時は、そんな一面もあったんだくらいにしか思わなかったが、今思い返すと、また違った想いが出てくる。

 

おそらく世の中には完璧な人間などいないということ。

なにかができる、あるいはなんでもできるということは、なにかができない、あるいはなんでもできない人の気持ちを本当の意味で共感することはできないということ。

人にはいろんな面があり、それが良いのか悪いのかは立場や考え方によって変わるということ。

 

人は自分のモノサシでしか物事を測ることができない。この人は自分とは違うと思えば、当然あるはずの相手の素顔、悩んだり苦しんだりする姿を見たら想像したらできなくなる。

そんな当たり前を忘れないために。

偉大なように見えるその人にも、見えない素顔があることを忘れないために。