選挙の話。
先日、勤務先の学校で生徒会選挙があった。
当たり前だが、それぞれの職で選ばれる人数は決まっている。
当選し、選ばれる子がいる一方で、落選し、選ばれない子がいる。
落選した子は「落ちてもいいんで、自分の経験にしたいんです」という言葉を口にして、あえて厳しい職を目指し、選挙後に涙した。
その子を見守りながら、自分の中学生時代を思い出す。
僕は華はないが(今もないが)、勉強はできると言った生徒であった。表立って悪いこともせず、いわゆる優等生という感じ。
1年生から教師に誘われ、生徒会書記に立候補した。当時はWindows95辺りが学校に配備されていて、ほんの少しだけパソコンが使えた僕は生徒会だよりの文面を考えてPCを使って作成する仕事や、会計業務などを担当していた。
地味な裏方仕事だが、多分他に代わりにできるメンバーは生徒会にはいなかったのだろう。
そして2年生だか3年生だかの最後の選挙の際、会長か副会長への立候補で悩んでいた僕は、生徒会担当の教師から「書記で立候補してくれないか」と打診される。
曰く「会長は難しく、副会長でも万一落選してしまうと(教師が)困る。安全圏の書記に立候補してくれないか」と。
当時の僕はその言葉を受けて書記へ立候補して無事に当選した。
僕に書記での立候補を訴えた教師は喜んでくれた。
これが共産圏なら栄誉あるナンバーワンの地位なのだろうが、現実は、会長、副会長に次ぐ3番目の末端の地位。そして当然というかなんというか、会長と副会長には華のあるメンバーが選ばれた。
そんな華のある会長は、現在は作家となり、各地で公演活動なんかもしている。
当時はそのことへ何か大きな不満や不信感を抱いていた訳ではない。
華のある生徒が選挙で選ばれるのが当然という感覚であったし、それは多かれ少なかれ現実の世界の選挙でもそうだ。
僕は自分自身に華があるとも思っていなかった。
ただ、今、自分自身が教員がという立場に立って落選して涙ぐむ子どもを見守りながら、「あのときの自分の選択はどうだったのか」と考えてしまうのである。
落ちるかもしれない状況へのチャレンジを選んだ彼に、選ばなかった僕は、尊敬の念を抱きながら、「もしも…」のことがよぎってしまうのである。