先日、自分が担任をした子たちの弁論を見学できる機会をいただけた。
去年担任した子たち、一昨年担任した子たち。
自分が関わった子たちが成長していく姿を見ることができるのは、幼稚部から高等部まである盲学校や支援学校などの大きな魅力だと思う。
もともと部活動をはじめ、校内で出会う機会があるので僕は積極的に絡みにいく方だ。
それに現担任の先生方から相談を受けることも環境を聞きにいくことも多い(そんな風に支援学校内で学部間の縦の連携がもっと進めばいいのにとも思う)。
弁論では、彼らの成長した姿、顔を上げて大きな声で内容を暗記し、堂々と伝える姿に感動したし、成長を実感した。
嬉しかった。
それと同時に、彼らと関わる中で大変だった日々がグルグル頭の中を駆け巡る。
目頭が熱くなる。
子どもたちにもその感想を伝える。
見学に来られていた保護者の方にも話し、成長した実感を共有する。
自分の抜けた、あるいは見送った後に関わってこられた先生方にも感謝する。
もちろん頑張ったのは子どもたち自身だ。
僕自身は子どもと関わる自分の仕事は種を撒く仕事だと思っている。
芽を出して欲しいとは思うけど、そうそうすぐに芽が出るものではない。
物事にはタイミングがあるし、たとえ芽が出なくても、みんなその種の中にパワーを蓄えている。
だから見守る。
促成栽培マンになってしまった先輩を反面教師にして。
「種を植える仕事」という言葉について - メガネくんのブログ
でも、こうしていつか芽が出たらいいなと思って撒いた種が芽吹くところ、さらに大きく咲き誇るところを、担任を離れてから見ることができるなんて思ってもみなかった。
有り難い。
そして現担任(元同じクラス担任)から、「先生があの子たちと一緒に一年間でつくってきた基礎が、今の姿に繋がっているんですよ」と言ってたらえた。
またある子が、「2年前に僕に言われた言葉の意味が最近ようやくわかってきた」と話しているのも教えてもらった。
もちろん頑張ったのは彼ら自身。
でもこんなに嬉しいことがあるだろうか。
だから教員は、子どもの成長に関わる仕事は辞められないなぁと強く思う。
子どもに関わる中で、種を撒く、何かを与えたり伝えたりしていたと思っていたら、とんでもなく大きなプレゼントをもらっていたのは僕の方だったという話。
みなさん、ありがとうございました。