本の話。
「残念な教員(林純次)」を読んで思い出した過去の教育実習時代について
自分は大学時代に大学進学塾講師のアルバイトをしていた。担当していたのは現代文、古典、英語、日本史だった。
ウチの塾は1〜4人の少人数型と複数人を対象にした講義型に分かれていた。
バイト代の時給は、地区幹部?の偉い人の前で模擬授業をして、その結果によって決められる方式だった。
ちなみにその塾では、時給2,500円未満は青銅聖闘士(ブロンズセイント)、時給3,500円未満は白銀聖闘士(シルバーセイント)、時給3,500円以上は黄金聖闘士(ゴールドセイント)と呼ばれていた。
大学4回生で迎えた母校での教育実習。高校生へ日本史の講義(3年目)をしていて、当時新米黄金聖闘士になっていた僕は、今思えば自信過剰で実習に臨んでいた。
担当の授業は日本史B。古墳時代からはじまる授業は手慣れたもので、塾では使っていたプリントをアレンジしながら、受験対策をしたわかりやすく楽しく刺激のある授業を目指して授業を進めていた。
他の教育実習生と比べると経験値の余裕は確かにあり、例えば授業中にウトウトした生徒に「今寝てた?」「寝てません!」「そうか、じゃあ寝てたかどうかを神様に判断してもらおう。この煮えたぎるお湯の底から石を取り出してみて。君が嘘をついていない正直者なら神様が守ってくれるから」「…」「というのが盟神探湯(くがたち)というやつでこの頃の裁判で行われていました。ちなみに抜け道があって…」みたいなくだりを即興でするくらいだった。
生徒からもわかりやすいと好評だったのだけど、ある教員から冒頭の「君の授業は塾の授業だね」と言われるのである。
その教員は自分が高校在学中から授業があまり上手でないと評判の教員であり、内心、「何言うてるねん。自分の方が授業上手いし」と思っていた。実際に生徒たちからも、他の実習生からも僕の方が授業が上手いしわかりやすいと言われていた。
そうして自信に溢れて授業を進めていた僕に、指導教官の先生から「君はこれ以上授業のやり方を工夫しないのかい?他の実習生はどうしたらもっと伝わるのかを試行錯誤しているよ」と、内心を見透かされたように言われた。
他の実習生は、コントをしたり、イラストを描いたりしていたが、正直知識量や指導技術不足で見る価値がないと思い込んでいた。
その実習当時はわかっていなかったと思うけど、今ならわかる。
確かに僕の授業は塾の授業だった。
内容を噛み砕いて整理し、わかりやすく伝える力はあった。
受験で必要なポイントを抑え授業していた。
それなりに知識があり、余裕もあって当意即妙な授業ができていた。
でもそれだけだった。
授業の中でしていたのは発問ではなく知識を確認するための質問だった。
知識を伝えることが授業の中心で、生徒が考えることを意識していなかった。
もっといえば社会科、日本史という教科で何を伝えたいか、子どもたちにどんな力をみにつけてほしいのかという問いを自分自身にしていなかった。
まぁ僕に「君の授業は塾の授業だね」と言った教員の意図がそこにあったのかどうかはわからないけれど。
今では「いろいろな考え方のフレームを身につけること」と「いろいろな出来事のなぜ(因果関係)とどうして(具体的な内容)を理解して自分の言葉で論理的に説明すること」が社会科の核ではないかと考えている。
もちろんそのためには、知識や技術も求められるのだけれども。
一度、完成してしまうとそれ以上の進歩はなくなってしまう。
試行錯誤の連続だ。
自分のしたことが良かったのかどうかを振り返るようになった。
だから今はいろいろな方の実践を見たり読んだりすることが楽しくなったと思う。
そうなったきっかけは、直接的には研修や書籍での出会いなんだけれど、それを確信するための楔のようなものを打ち込んでくれた教育実習での思い出には感謝しています。