僕は妻と生活をはじめたときに、「ごめんなさい」を「ありがとう」にしようと決めました!
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2021年9月19日
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ごめんなさいをありがとうに、というツイートから、Mr.Childrenを連想した。
「ありがとう」と「ごめんね」を繰り返して僕ら
人恋しさを積み木みたいに乗せてゆくありふれた時間が愛しく思えたら
それは“愛の仕業”と 小さく笑った
君が見せる仕草 僕に向けられてるサイン
もう 何ひとつ見落とさない
そんなことを考えている(Mr.Children「Sign」より)
懐かしい…
ちょうど大学一回生で手話と出会ったのもその頃だ(この曲自体が手話がテーマの1つであるドラマ、オレンジデイズの手話だった)。
手話との出会いはたまたまだったけれど、そこから障がいや福祉と出会い、なんやかんやで今は支援学校で働いている…なにかの縁があったのだろう。
カラオケで歌っていた学生の頃は、この歌詞の意味なんてもちろんわかっていなくて、自己肯定感が低く、優しいと言われることがコンプレックで、周りに「ごめんなさい」を繰り返していた。
周りからのサインを見落とすどころか気づきもせず、自信なくフラフラしていた僕を、今周りにいる人たちに見せたら別人だと思われるかもしれない。
今も僕の根っこにはそんな自信のない自分と、傲慢で調子に乗りやすい自分がいて、それは消えはしないし、でもそんな面も全部含めて自分なのだと今の僕は胸を張って言える。
そんな風に変わったのは、自分を肯定してくれる人の存在や失敗しても馬鹿にして笑いとばしてくれる友人なんかのお陰なのだろう。
もちろん「ごめんなさい」を「ありがとう」に言い換えて、「ありがとう」を繰り返した日々の積み重ねも大きい。
思い返してみれば、中学の同級生が大学になり、バイトを始めていた折のこと。全盛期のmixiでこんな投稿をしていた。
「お疲れ様です」って疲れてもないのに言うの嫌なんですよ。なんで疲れてないのにそんなん言わなあかんねんと。
だから僕は「ありがとう」って毎回言うようにしてるんです。
詳しい内容は覚えてないけれども、彼の言葉に影響された僕は(僕は非常に周りの言葉や本の内容などに影響されやすいのです)、おずおずと「ありがとう」を口にしはじめたのだ。
それが自分が変わった(自分で自分を見る目が変わった)きっかけの1つなのかもしれないと思う。
「ありがとう」の種は探せばそこかしこにある。
種がなければ撒けばいいのだし。
まずは、「ごめんなさい」を「ありがとう」に変えてみませんか。
気づけば世界がかわっているかもしれませんよ。