Twitterで「特別支援学級の子に強く当たる、時にはいじめてしまう通常学級の子。この子こそ助けてあげたい。」という言葉を見つけて思った話。
ダメなことはダメなんだけれども、その背景に何があるのかな?を考えないと解決には至らない(解決できるとは限らないけれど)
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2020年6月15日
ダメなものをダメと言うだけや威圧して押さえつけるだけでは、その場は乗り切れても解決には至らないんだよなぁ(むしろ後でどんどん悪化する) https://t.co/Jzq2QXwx1p
ちょうど今関わっている子たちの中に、友だちや教員に対してからかったり、ちょっかいをかけたりする子がいる。
からかいやちょっかいの対象は大抵自分より弱い(と本人が思っている)子か厳しく叱らない教員だ。
働きはじめの頃は、子どもたちに「ちゃんとさせないといけない」という今思えば独りよがりでよくわからない正義感に駆られて、「子どものためだ」と信じて厳しく叱っていた。もちろん自分よりも弱い立場の相手をからかう場面に遭遇しようものなら「許せない、やめさせないといけない!」と思い即座に行動していた。
あれから十年と少したった今は、もちろんそんなからかいなんかの行動を正しいと思っているわけではないけれど、少し距離を置いて、その行為の背景に何があるのかなと考える余裕ができた。
支援学校の中でそんな行動をするのは中軽度の子たちが多いように思う。
一般の小学校の中である程度は話ができたり遊べたりするけれど、周りの子たちと同じように勉強や運動ができなかったり、そんなできないことをからかわれて悔しい思いをしてきたのかな?
家庭で十分な関わりを与えられてこなかったのかな?叱られることであれなんであれ関心を持ってもらいたいのかな?
そんな思いが頭をよぎる。
幸いに今のバディの方は同じように考えてくれるベテランの方だ。
人がする行動は、よくよく考えたり観察したりしてみれば、本人が他人から受けてきた行動の模倣の集合体だ。
特に怒りや蔑みと言った負の感情の多くは、強い者から弱い者へと流れていく。
友だちをからかうその子は、以前にからかわれた経験があるのではないか。
そうして溜まり溜まった感情の吐け口は、自分よりも弱い相手に向かう。
叱りつけて威圧し、その子の行動を抑えることもできるだろう。
でも抑圧されたその子の心は更に負の感情をため込み、その子よりも弱い他の子へと向かうのだろう。あるいは抱えきれず爆発するのかもしれない。
その子の不満や劣等感、愛情への飢えを少しずつ満たしてあげること。その子が他人を下げることで得る優越感よりも大事だと思える何かを見つけること。
負の感情が自分よりも弱い立場へと流れていくこと。そのことを格好悪いと本人が自覚できること。本人のきもちをうけとめてあげること。
その子に言葉を届けられるように関係をつくること。なぁなぁではなく、ダメなことはダメだときちんと伝えること。
あの頃の「叱る」しか知らなかった自分とは違い、今は叱る前にやってみてはどうかなと思う
ことがいくつかある。まずは関係を作りながら、ぼちぼちやっていこうと思う。焦ることはないし、僕だけで何かができるわけではない。
ゴールはその子本人が納得して自分のあり方を変えていくことなのだから。