最近ウチの娘の話。
ちょっと前まで4歳前だった娘が神経衰弱にハマっている。
ちょっと神経衰弱で負けがこんできた娘が並べる前に数字を確認しながら並べていて、叱るよりも前に坊や哲の印南さんを思い出して、注意する妻の横で、「ヒロポンもなしにトランプの数字を覚えれることってすごい」と思って叱るタイミングを逃してしまいました笑 pic.twitter.com/gOSVPdzRGS
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2020年3月22日
そして僕はなかなか勝てない。
でも回数を重ねると昔の勘を取り戻してきたのか五分五分近くまで持ち返してきた。
こうなってくると面白くないのが娘である。
勝てるから楽しいのであって、負け続けるのが楽しいわけではない(でもまぁ負けても負けても戦い続けるのだから好きは好きなんだろう。
得意は好きになる一つの理由だ)。
勝つための手段を頭を捻って考え出し、その答えが並べる前にカードの数字をチラッと確認するという作戦だった。
ただ不幸にしてそれは妻に見つかってしまった。それはズルイと叱られてしまった。
娘本人がその行為のズルさを自覚していたのかどうかはわからない。
純粋な勝利への執念が導き出した答えだったのかもしれない。ただ世間ではそのやり方がずるいとされているだけで。
そんな勝利への執念が、本人の成長とか前進とかそんなものに繋がっているのかなとも思った。
ただ勝ちにこだわることだけを求めていくと、大抵の人はどこかで諦めざるを得ない。
最後まで勝者で入れるのは、ごくごく限られたほんの一握りの存在だけだ。
そこで勝つこと、ナンバーワンになることを目標にすることも大事だ。
でも教育という分野で働く自分には、そこまで勝利への執念を燃やし続けられない多くの子たちには、負けたときにただ諦めるのではなくて、いくつかの道を選べるように示せたらなと思う。
そこから勝つためにどうするのか、自分の量や質を高める方法、自分の強みを活かす方法を考える道
別のフィールドを求めて進んでいく道
相手に勝つことだけでなく、昨日までの自分に勝つことを目標にする道
もちろん諦める道も、我武者羅に突き進む道も、非道のやり方に手を染める道もあるとは思うのだけれども。
はてさてうちの娘はどんな道へ進むのか。
ヒロポン打ちすぎて牌についた指紋を覚えたり、牌が透けて見える前掛けの蝋燭のような印南さんみたいにはなって欲しくないなぁ。