ある記事の紹介。
「使える、使えない」といった言葉で切り捨ててしまうと、そこで全部終わってしまうんでしょうね。
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2020年8月31日
そこで終わらずに次に繋げていくための支援が、教員である僕がやること、そして、伝えること、広げていくことなんですよね。 https://t.co/A9sn4SjNt4
東京の支援学校で、就職支援に携わってきた方の話。卒業生が、進路先で本人の実態をわかってもらえず、「こんなこともできないのか」と見下されたことに対しての思いにとても共感する。
「使える、使えない」といった言葉は、もちろん聞いたことがあります。私は教育者ですから、そのような言い方はしないようにしてきました。力不足な点があるのは、だれでも同じです。どこでつまずいているのかを考え、乗り越える支援をすれば、しっかり成長はします。その支援の繰り返しで、人は育つのではないでしょうか。上司が「あいつは使えない」と言っている限り、部下の成長はそこでストップしてしまうでしょう。どうしたら乗り越えられるか、と考えるのが指導する立場の人の本来の役割だと思います。
教育の現場や家庭でも、「なぜできないのか」と問い詰めたくなる、叱りたくなる気持ちが出てくるのはわかる。でも、その言葉を投げつけたり、威圧して無理やりさせても根本的な解決にならない。
教員の熱意や指導というブーストをかけた促成栽培で育てられた子は弱い。少なくとも僕はそう思う。
そうではなく、「どうすればできるようになるのか、本人のやる気が出るのか」という視点から、つまずきの原因を探り、乗り越えるための支援をするのが、支援教育に限らず、教育の原点なのだなと改めて思う。
「使えない」という言葉は、凸凹や得手不得手のある子どもや部下の実態を把握し、「使いこなせていない」からかもしれない。
使えないキャラも使い道次第なのかもしれない。ルイーダの酒場に預けられているアイツも輝く場面があるんだ。
厳しいだけでは人はおそらくついていかないでしょうが、なんとか育て上げたいといった思いから来る厳しさは障害者、健常者の区別なく伝わります。そして上司の方は成長を引き出し、部下が「あなたは、本当に役に立っているんだよ」と言われる存在にしてほしいと願っています。
多分、この人を支援する姿勢、成長を引き出す姿勢は、教育だけでなく、人と関わる上でとても大事なものだよなぁと思う。
人との関わりは綺麗事だけではないだろう。
時として、子どもを無理やり動かす作成栽培マンになりそうな自分が出てくるのも事実だ。
成長を引き出すというのは、言葉通りにはなかなかいかない。忍耐が必要だし、なかなか結果が返ってこないことも多い。
そんな中で、折れたり、易き道へ流れそうになる自分を奮い立たせてくれる記事だった。