本の感想。
「あそびのじかん(しみずみえ)」という本を読んだ。
そっか、そうだよな。
変に小難しく考えていたものが一気にほぐれた。そんな感じだ。
自分にとって「わくわくすること」が遊び。目的は、必要ないのです。
考えてみれば、僕が仕事で子どもたちと一緒に楽しんだり、飽きもせずに本をモ読んだり、ゲームをしたりするのも、なにか崇高な目的からスタートしてる訳じゃなくて、単純に楽しいから、わくわくするからだ。
子どもの世界には、正しいあそびなんて、ない。
繰り返しおんなじ絵を書いたり、
同じ絵本を何度も読んでとせがんだり、
いつでもこしょこしょを要求したりするのだ。
だから保育園でのもうすぐ3歳息子と友だちは、はじめはブロック遊びしていたのが、いつの間にかブロックが注射に変わって注射ごっこになったらしい。
最近は保育園で借りた(しかも人気でなかなか借りられなかった念願の)恐竜の絵本から恐竜にハマっている。買ってもらった恐竜の絵本や図鑑を繰り返し読んでもらい、気がつけば付録のDVDを飽きるほど観て、僕の秘蔵のスピノサウルスの歯やアンモナイトの化石をキラキラした目で眺め、また絵本や図鑑に向かうのだ。わくわくが尽きるまで。
それ以外にもこの本には、心に響く言葉がたくさんあふれている。
こどもの目線になって、今、楽しいことに目を向け、いっしょに楽しみましょう
遊びに決まりなんてない。
夜な夜な妖怪へそベロベロやこちょこちょお化けになって子どもたちと遊び、妻に叱られている僕はまだ子どもの目線になれているのかな?
結果よりも過程を大切にしているこどもに共感し、過程の楽しみやがんばりに目をとめて、言葉をかけましょう。
お母さんと一緒のお兄さん、お姉さんは子どもたちの絵に対して「上手だね」とは言わないという話を聞いたことがある。「とっても大きく描けてるね」「おいしそう」「細かいところまでよく見てるね」なんて言葉は完成した作品だけでなく、子どもたちがわくわくしながら作っている過程を見れば浮かんでくるのだ。
最後に印象に残ったエピソードから。
まあちゃんは、お母さんが昔使っていた携帯電話で上手に遊んでいました。
「もしもし。うん、うん。じゃあ、いまから、おむかえにいくからね」などと大人の真似をして電話で話したり、「はい、しゃしんとりますよ!」と電話を構えて写真を撮る真似をしたり。
お母さんは、まあちゃんが遊ぶ様子を微笑ましく思って、市販の携帯電話のおもちゃを買ってあげたそうです。ボタンを押すと音がなったり、声が聞こえたりする簡単なものです。まあちゃんは喜び、何度もボタンを押して、プルルッて音がするね、もしもしって言ったね、と喜んでいました。
けれど、そのおもちゃを使うようになってから、ほんとうはいない相手と上手に通話したり、写真を撮ったりすることはなくなりました。最初の携帯電話は、何も機能がないから、何にでもなったのです。
おもちゃはちょっと足りないくらいがちょうどいい。
美味しいものも満腹よりちょっと足りなくてまた今度食べたいくらいがちょうどいい。
勉強もいやまだまだ問題解けるからくらいで終わるのがちょうどいい。
そんなちょうどいいを噛みしめながら。
娘と息子は海老と蟹が大嫌いな僕の前で、ニヤニヤしながら大声で「エビカニクス」を歌うのだ笑。