小さい子供は理屈が分かっていなくても記憶には残っている。byでんじろうせんせい
という言葉が好きだ。
なので何年かぶりに段ボール空気砲を作ってみた。無駄にスモークマシンも買った笑。
ダンボール空気砲の作り方&実験・遊び方7選|空気砲は科学者への第一歩
昔テレビで見たはずなのに、段ボール空気砲の穴の形が円じゃなくて三角や四角、あるいは星形だったときの出てくる煙(空気)の形がどうたったのかを忘れていた。
実際に作って試してみた。
この場で答えは言わないけれど、多分次は忘れないと思う。
きっと一緒に体験した子どもの記憶にも残るだろう。
自分で体験することの大切さってここにあるんだろう。
理屈じゃなくて記憶に残ればそれでオッケーだ。
月日のせいで忘れてしまうものは他にもある。
あんなに夢中で読んでいた漫画のラストシーン
コントローラを持つ手に汗握りながらプレイしたあのゲームのエンディング
なんで忘れてしまったんだろう。
でも漫画を読むと色鮮やかに蘇ってくるシーン。白黒のはずなのに色つきで思い出すのはなぜだろう。
スラムダンクのラストシーンは覚えているけれど、まず浮かんでくるのは花道と流川のハイタッチシーンとその直前の石井健太朗の「ぐひん」だ。
エンディングは忘れても、手に汗握ったラスボスとのバトルシーンは思い出す。
そして友だちと3人でラスボスと戦っているのをなぜか俯瞰している記憶はすぐに生々しく浮かんでくる。
僕の眼からはテレビ画面と隣にいたあっしーとばばちゃんの2人以外見えていないはずなのに。
開発室は覚えているけれど、そのとき見たはずのエンディングは覚えていない。
記憶なんて適当なものなんだろう。
思い出がになってしまったものは月日が経つにつれ美化されるものなのだから。