「特別支援の考え方に完全に染まってしまってはいけないよ」
教員1年目にある先輩教員から言われた言葉だ。
特別支援学校に通う障がいのある子どもたちと接する機会があまりなかった場合、障がい=何もできないと考えてしまいがちだ。
なので、まるで孫の世話でもするように甘やかすというか、身の周りのことを全部やってしまい、結果として子どもが自分でやって力を伸ばす、成長する芽を摘んでしまうことに繋がりかねないやり方をよく目にする。
でも優しく暖かい関わりが心のオアシスになる子もいる。
ただ長い間子どもたちと接していると、少しずつ本人のペースで成長していることに気づくこともある。
障がいがあってもなくて人は成長するのは当たり前のことだけど、それを知ってから子どもを追い込むように頑張らせるやり方もよく目にする。
やらないとできるようにならないのはそうだろう。
いやいや、環境の調整や具体的でシンプルな方法の提示が大事だよという考え方もある。
その子にとって過剰であったり、何故やったのかわからず、効果があまりないような視覚支援や言葉かけのやり方も目にする。
でも適切な環境調整は人の行動を変える、それまでとは別人のように成長するかもしれない。
個人的にはどの視点も大切だと思う。
ただ一つの考え方を盲信し過ぎるのはよくない。
子どものことをしっかりと見極めてアセスメントし、子どもと関係をつくり、適切な支援と負荷をかけるのがいいんだと思う(もちろん口で言うほど簡単なことではなくて、そのさじかげんに日々悪戦苦闘しているのだけれども)。
でも残念ながらそんな考え方の人ばかりではない。世間ではまだまだ障がいに対する理解が足りないし、本人のせいや障がい者だから仕方がないという風潮はまだまだある。
特別支援や障がいの世界に関わってもう15年以上になる。
世間に対する不満もある。
先輩教員の言いたかったのは、子どもを甘やかしてしまう教員のことを槍玉にあげつつ、そんな世間の間隔と乖離しすぎてはいけないという意味だろう。
世間が変わらないと悲観していても何も変わらない。
ならその世間とのギャップを知りつつ、その溝を埋めるためにどう隙間を埋めていくのか、アプローチをかけるのかを考えて行動しないといけない。
人間は原理原則な理想論だけでは動かないし、相手の立場を考えずに一方的に発信するアプローチは効果がない。
そして人間は環境にすぐ慣れて染まってしまう。はじめは持っていた違和感も無くしてしまう。
だから特別支援と初めて接する人、自分の学校に新しく来た人にはそんな違和感を教えてもらうようにしている。
特別支援にいる自分の立場やその思いを大事にしながら、でもそれを知らない、興味のない人に向けてどう発信していくのかを考えないといけないんだよなぁ。