メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

子どものために手を出さずに我慢して見守ること

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盲学校の先輩方との話から。


僕たち教員が子どものために出来ることってなんだろう。
何でもやってあげることが、本当にその子のためになるのか。
もちろん付き合いが長くなり、関係ができてこちらにある程度のスキルがあれば何をして欲しいかは雰囲気でわかるようになる。

でも、そこで、こちらから手を出すだけでいいのだろうか。
見守る中で、あるいは本人が困る中で育つ力はないのだろうか。
見守ることは難しいし、子どもに対して厳しすぎてもいけない。
その匙加減は子どもによっても、また関係性によっても変わる。

厳しすぎる指導、不適切な指導についていろいろと大きな話になる時代。
何も考えずにやってあげるのは無難なことなのかもしれない。
でも厳しい言葉で言えば、子どもに何かをやってあげるということは、子どもがその何かを学んだり練習したりする機会を奪うということだ。

もちろん子どもによってゴールは違うし、高すぎるハードルを課すつもりもない。厳しすぎる指導をするべきだと言っているのでもない。

その子に合った環境整備をして、便利な道具もどんどん使っていけばいいと思う。
でも、教員という立場の僕たちは、子どもの将来のことを考えているんだろうか。

小さいうち、学校のうちはそれで良くても、卒業後に困ることはないのだろうか。

正直、学校ほど人手がある環境はこの先ないだろうし、視覚障がいのことについてわかって動いてくれる人ばかりがいる環境もないだろう。

5年後、10年後のことを考えないといけないと良く言われるけれど、学生時代自分がヘルパーをしていた利用者さんの両親が高齢化し、介護が難しくなっている現状を見ると、現実として本当に何が必要かを考えざるを得ない。

 

そんな匙加減や子どもの自分なりの自立に向けた姿勢や関わり方ってどうやったら身につくのかな。
なかなか難しいなぁ、わかってもらえないなぁと先輩と話しました。

今の時代に合っていないのか…

 

おじいちゃん、おばあちゃんのように甘やかしたり、介護のようになんでも意を汲んで行動することは、子どもが自分の力を学び伸ばしていく場としての教育とはちょっと違うんじゃないかと思うのだけれど…大人はなかなか変わらない。

研修で話して、「よく分かったわ、明日から見守るわ」と言っていた先輩教員が、翌日に子どもが落としたものをすぐに拾う現実…

 

はぁ。まぁコツコツやれることをやりながら、子どもや保護者と関係をつくりながら、周りの大人と話しながら関係をつくりながら、自分が厳しすぎないか甘すぎないか自己チェックを続けていくだけですね。

いやなかなかコレ大変ですね笑