文化祭に向けての取り組みが進んでいる。
支援学校では、文化祭や体育大会は1ヶ月くらい前から毎日のように練習があり、子どもも大人も練習のしすぎと追い込みすぎでしんどくなってしまうこともある。割とある。
熱の入った教員による叱咤激励やお説教なんかも割とある。
そして困るのが熱の入った教員が、「もっと良くするため」に、途中で変更を加えること。
見通しを持ったり、急な変更が苦手な子は多いのに…
台詞やダンスなどの動きを覚えたり、凝った衣装や小道具、背景なんかを自作したり、なかなかにエネルギーを注がれる。
衣装や小道具作りのために遅くまで残ることも珍しくない。
それが支援学校行事のあるあるだ。
今年は文化祭の劇に関わらせてもらっていて、その劇の中で舞台発表だけでなく、一部にムービーを流すことを提案した。
本番のプレッシャーに弱い子もいるし、長台詞を覚えて流れるように話すのはなかなか大変だ。文化祭のために授業を潰して練習することもある。
ムービーなら、失敗しても何度も撮り直せるし、長台詞もそこまで覚えなくてもいい。
録音された声を聴くと、なかなか大きな声が出ない子どもたちがノリノリの笑顔で台詞を話している場面を見ると、やってみて良かったなぁと思う。
気にかけているのは、効果音など自分の編集次第で面白くできるけど、やりすぎないようにしないといけないなということ。
「誰のための文化祭なのか」
それを考えないといけない。
文化祭の練習を繰り返す中で、何度も言われるのが「観客のためにもっといいものを」と言う言葉だ。
もちろん、子どもたちが頑張って練習に取り組む中で得られる達成感や喜び、自分の成長の実感などを否定するつもりはない。
でも、僕たち教員はそれらを大義名分にして、「保護者などのお客さんを満足させること」を目的にしていないだろうか。
本当に子どもの成長を意識しているだろうか。
果たして子どもは頑張ることを納得しているのだろうか、子どもの「もうやりたくない、嫌だ!」という声に気づかないうちに蓋をしていないだろうか。
そんなことを考えてしまう。
大体、相手のためにどこまでも尽くすこと、頑張ることと、自分がプレッシャーやストレスで潰れてしまうことは天秤の両端にある。生きていく上ではそのバランスが大事だと思う。
嫌なときに「嫌だ」と断る力も生きていく上では必要だ。
話が逸れてしまったが、うちの子どもの通う保育園について以前のブログで書いた。
うちの娘のこども園の話「地味だけどすごい」 - メガネくんのブログ
そこでも書いたように、本当に目指すのが子どもの成長なら、その成長は子どものどんな姿を目指すのかも含めて、どんな発表にするのか、そもそも子どもにどのくらいの負担をかけるのかも含めて、一度考え直した方がいいかもしれない。
文化祭も他の行事もだけど、省エネでいけるところは省エネでいいんじゃないだろうか。
ぼくの思う子どもの理想像は、言われたことを後先考えず何でもかんでも全力で取り組むような人ではない。
まぁ省エネでいること自体を批判する人たちもいるのだけど。
さて、うちの文化祭の劇はどうなるのだろうか。