夏休みがはじまる前くらいからなんだか気分が晴れなくなった。
最初は少し大きな実践発表の仕事が終わったから疲れていたのかもと思っていた。でも8月が終わってもまだそのままだった。
そう、これは定期的にくる「あれ」だ。
僕はこれを「村上春樹症候群」と名付けている。
結婚して、子どもができてからはなっていなかったし、最近は仕事に熱中していたのでその反動もあったのだろう。
大学時代が一番多かった。
村上春樹症候群とは、いつの頃からか気付いた自分の気分が憂鬱になる時期と村上春樹を読み返す時期がリンクしていることに気付いた名付けたものだ。
卵が先が、鶏が先か。
気分が憂鬱になるから村上春樹を読むのか、村上春樹を読むから憂鬱になるのかそれがどちらなのかはわからない。
念のために断っておくと、僕は村上春樹の作品が嫌いなわけではない。むしろ彼の作品を愛読しているし、小さな書斎の棚の真ん中には彼の小説作品が並べられている。
村上春樹の作品には中毒性がある。
幼い頃から本が好きだった僕に、同じく本好きの母親は大人向けの小説を勧めた。
小学校高学年で勧められた小説。その中には山崎豊子の『大地の子』という中国残留孤児の話もあり、人の愛憎や性愛なども描かれたそんな作品を小学生に進めた小学校教師の母親はどうかと思うこともあるが、そこで村上春樹にも出会った。
はじめの作品は『ねじまき鳥クロニクル』
これも小学生が読むのに適しているのかどうかはわからないが。
もちろん当時の僕が、村上春樹の世界に描かれているある種の喪失感や多彩なメタファーを理解していた訳ではないだろう。
ただスパゲッティーなどの料理やシャツのアイロンがけなどの家事に興味をもったのはそうだ。(残念ながら歌や楽器は苦手だったので、ジャズやオペラには興味を持たなかった)
『ねじまき鳥クロニクル』の単行本は、本当にカバーが擦り切れるくらい読み返した。(これは比喩ではなく、実際にカバーは擦り切れている)
笠原メイのチョコレート色の水着も、かつら工場からの手紙も、母の痣をなめるというなんだかよくわからなかった官能的な場面も、シナモンのコンピューターのパスワードも、間宮さんの手紙にあったノモンハンの井戸も、その情景がすぐに浮かんでくる。高校生の頃は野球部でもないのに部屋にバットを隠していたし。(一体僕は何に備えていたというのだろう)
高校生になると他の作品も購入して読み返すようになった。
ダンス・ダンス・ダンスと海辺のカフカは特に何度も読み返したが、やはり、ねじまき鳥が断トツだ。
何度も読み返していると、定期的に「あれ」がくるのである。
何もやる気が起きず、大学の講義をサボって、家のベッドでゴロゴロしながら村上春樹を読み返す。
村上春樹の作品の登場人物は、何かを失い、そして多くの場合、その失ったものは二度と手には戻らない。
その喪失感が故に、気分が晴れないのか。
気分が晴れないから村上春樹の本を手に取るのか。
村上春樹を読むと憂鬱になるのに、憂鬱な気分が村上春樹を通して徐々に消えていく。
なぜなのだろうか。
ともあれ今回はベビーベッドに遮断された書斎に入れず、村上春樹を読むことなく、気がつけば新聞紙を煮詰めたコーヒーのようなもやもやは消えていた。
中年という年齢に差し掛かった僕が、それまでの蛹を脱したということなのだろうか。
理由はわからないが、とりあえず、もやもやが消えたのでブログやらツイッターやらを再開しますということです。