なんのために宿題を出すのかという問いについての話。
宿題というか、与えられた課題をこなすのではなく、自分で目標を設定してその達成のために必要な自己研鑽を積んでいく習慣が小学生のうちから積み重なって自分で考える子が増えたら、授業も大学も仕事も含めて本当に日本が変わると思うんですよねー。 https://t.co/HcSk5ig7lW
— メガネくん@盲学校からの発信 (@tattumiiii) 2019年12月15日
これは与えられた課題をこなすとかではなく、その後の自分の生き方にも繋がる問題なんだと思ってます。
そもそも完全にわかっていることを何度も繰り返す必要があるのか。
必要がある場合もあるかもしれないけれど、多分コスパは悪い。
だからマリオブラザーズは、みんな1-2のステージで天井を通り抜けて先のステージへ一気にワープするのだ。
そして嫌々やらすことが習慣に繋がるのかというと必ずしもそうではないよなーと思う。
もちろん数をこなすことは質の向上に繋がるのだけれども、嫌々やるのはコスパが悪い。
そんな嫌々やるより、好きなことのパワーを使って、自分のやりたいことをどんどんさせた方がいいのではないか。
昨今流行のけテぶれ。
僕は個人的にはすごくいいと思ってます(もちろん全員にハマるかというとそうではないこともあるとも思います)。
子どもの教科や勉強の好き嫌いの大半は、できるかどうかに左右される。
当然、テストができる子はより好きになり、テストで点数をとるために勉強に意欲的になる。
できない子はやる気をどんどん失っていく。
それが、自分で勉強方法を工夫して(教員からの提示も必要な場合もあるかと思いますが)、自分に何が必要かを分析して、練習して、計画を立てて、テストの点数が上がって、好きになって、というサイクルはハマればすごいパワーになる。
僕自身、中学校まで社会科が得意だったけど(勉強してなくても点数が取れたし)、高校では勉強をあまりせずに点数が下がり、ちょっと嫌いになりかけた(勉強することでやっぱり点数が上がり、それがモチベーションになって、通学の電車中で教科書を読み込むという若干ヤバイ人になっていましたが…笑)。
それだけでなく、一方的に宿題を課される側から、自分が主体的に考えて行動する習慣を身につけられはことは、テストの点数が上がる以上に、その子の人生にとって価値のある(かもしれない)ことなんじゃないかなと密かに思っているんです。
子どもが主体的に動くってことは、本人が悩んで迷って、納得して、決めて、行動して、責任を持つ(結果を受け止める)ことが必要不可欠だと思います。
逆に自分で考えず、指示されたことだけをしてきたり、叱られて無理矢理させられてきた子は、できない原因を自分以外の家庭や学校、親や教員や友人に求めらようになってしまう(ケースをいくつか見てきた)。
宿題が子どものためと言うのなら、本当に子どものためになるようなあり方を考えることは大事なのではないかと思います。