今日は入学式。
年度末には転勤は保護者に伝えてはいけないルールがあるので、今日が教員が残留かどうかがわかる日だ。
保護者によっては担任発表でガッツポーズする人もいれば、微妙な顔の人、ニコニコ笑顔だけど内心…の人と様々だ。
同じ学校内でも教員に対する評価は天と地ほどもある。
原因の一つは確かに教員の品質にあるのだろう。品質という観点では、教員はかなりのバラツキがあるだろう。
誰が担任でも同じような対応ができるというのが教員の世界には当てはまらないことが多い。そもそも統一されたマニュアルがない。
学習指導要領や指示事項はマニュアルには当てはまらない。誰がやっても同じになるくらいまで細かく定められていないし、そもそも細かく見ている人がレアだ。
学習指導要領が〜と話してもキョトンとした顔が見れるだけだ。みんな忙しすぎて学習指導要領なんて忘れてるんだろう。
統一されたマニュアルがなく各教員が自分の裁量で柔軟に対応できるのはメリットでありデメリットでもある。
裁量次第で子どもへの対応は良くも悪くもなるからだ。
そして繰り返すが、頑張りや子どもの成長は評価や給料にはほとんど反映されない。
その中で積極的に頑張れる人は少ない。
品質にバラツキができる。
保護者はそれに敏感に反応し、教員へ期待と熱意、あるいは失望と憤り、諦観を投げかける。
しかし、教員に品質のバラツキがあるといってもそこまでの差があるのだろうか。
本当に「これは…正真正銘、あかん」という人がいないではないが、そうそういるものではない。
やることなすこと全てがダメな人は逆に珍しい。
そう考えてくると、品質よりも保護者のイメージが大きいのではないか。
保護者の想いはさまざまである。
「本人に合わせたペースでやってほしい」
「ビシバシやってほしい」
「とりあえず勉強を!!」
「身の回りのことができるように」
どれもこれもベクトルは異なるように見えるが、対応することは同じだ。
保護者の想いを組みながら、子どもの想いや実態を考えてバランスを取ること。
先の進路を伝え、その子の実態に合わせたプランを提示すること。
できること・できないことをはっきり伝えること。
こまめに連絡して話を聞くこと。
子どもの成長を実感してもらうこと。
信頼関係を築くこと。
だが、最初の一歩は難しい。
ここで溝やボタンのかけ違いができてしまうと修復は大変だ。
信頼していた気持ちが裏返る。
期待が不安になり、やがてあら探しがはじまる。
こうなると関係修復は困難だ。
その教員のできていることは評価されず、できていないことや保護者の想いに合わないことばかりが目につく。
結果として、他教員への希望が強くなり、保護者の思う教員の品質差が大きくなる。
こんな感じだろうか。
信頼関係って難しい。
裏返ると怖い。
気をつけないと。