過去に担任をしていたときの話。
高校3年生のクラスで生徒は一人、担任一人の環境だった。
秋すぎには生徒の進学先が決まった。
でも「学力や意欲、コミュニケーション力などまだまだで、大学に入っても通用しないんじゃないか」そう当時の僕は思っていた。
今思い返してみれば、自分の高校時代も推薦組は受験本番シーズンもまったりしていたし、なんなら自動車免許を取りに行ったらしていた。僕は自分がセンター試験、二次試験を受けていたのでその感覚だったのだろう。
生徒も当然のように緩んだ。
授業中も寝るし、宿題も出さなくなった。
「このままでは駄目だ。なんとかしないと」
「もっと残りの限られた時間でできる限りのことを詰め込まないといけない」
そんな想いが日に日に強くなっていった。
それは僕のエゴでしかない。
でも当時の僕はそうは考えなかった。
「なんで頑張らないんだ。今のままじゃ駄目だ!大学へ行っても通用しないぞ!」
毎日そう伝え、説教の日々がはじまった。
生徒は、僕の詰まるような問いかけに、時折「はい」と答える他は、終始下をうつむいていた。
でも僕は自分が頑張って働きかければ何かが変わるんだと信じていた。
あのとき僕は子どもにその想いを問いかけただろうか。
子どもは僕の主張に理解や納得をしていただろうか。
いつのまにか僕は全てを子どものせいにしていなかっただろうか。
僕にできる工夫や改善はなかったのか。
説教している間に、子どもと一緒にわくわくできる取組みができたんじゃないか。
結局、卒業するまでその生徒が劇的に変化し、頑張るようになることはなかった。
僕の関わり方は、その子にとっては正解ではなかったのだろう。
その当時の関わり方を先輩から指摘されたこともあり、卒業させてからいろいろと考えた。
どうすればよかったのか。
もっと授業を工夫すれば、本人が楽しめる授業を一緒に考えていけば、そうはならなかったんじゃないか。
叱るだけじゃ変わらない、変えるべきは自分のやり方じゃなかったのか。
結局、人は自分が納得したことしか本当の意味で定着しない。だからそんなに焦らず時期を待ってもよかったんじゃないか。
すぐに変えることを求めすぎるのではなく、いつか変わるための種をもっとたくさん蒔けたんじゃないか。環境が変われば人は自然と変わっていく。
そんな後悔が、今の自分をつくっています。