先日、小中学校のバスケットで苦楽を共にした仲間と会った。恩師の退職祝いでだ。
恩師は自分たちの後輩の時代に体罰問題で転勤してしまったのだが、退職祝いとあって在校中の諸先輩方も集まり、非常に盛り上がった。
**念のため確認ですが、僕は体罰を肯定していませんので悪しからず**
中でも花が咲いたのが、誰が一番しばかれたかという話。
誰があの試合で殴られたとか、どの代で誰が一番目をつけられていたとか、Tシャツをビリビリに破かれたとか、鼓膜が破れたとか、コートの端から端までビンタで進んだとか、買い食いがバレて竹刀でしばかれたとか、防具をつけて前蹴りされたとか、出てくる出てくる。
それが笑いに変わるのが体育会系特有の飲み会だろう。
恩師は「すまんかった!」と謝っていたが、それも含めて笑いに変える楽しい空気があった。
恩師をイジれる雰囲気だったのもある。
殴られはしたけど、恩師のことは大体みんな嫌いじゃなかったのだ。
当時はしばかれるのはすごく嫌だったけど、過ぎ去って思い出になったことは美化されるのと、なんやかんやといっても、それなりの個々の成長や全中出場などの結果があるのも笑えた理由だろう。
ただ体罰を受けるだけ受けて、結果もないとこうはならないのだろうか。
世代を超えて、同じ恩師に学び、そして大体しばかれてきたという共通の思い出話は盛り上がった。
中でも先輩の言っていた「お陰で大体怖いもんはなくなりました!」という発言には、皆が頷いていた。
もちろん強豪校で、勝利を目指していたからなのもあるだろう。
現在の自分の立場では体罰はもちろんしないし、肯定もしない。
自分で考えることを遠ざけるし、体罰じゃなくてただの傷害行為だ。
その辺は部活動について - メガネくんのブログにも書いた。
ただ、この受けてきた理不尽な体罰を笑いに変えられるのは、単純にすごいなと思った。
そういう世界もあるにはあるのだ。
もちろんみんながみんな体罰を乗り越えられる訳ではないのだけど。
**念のため確認ですが、僕は体罰を肯定していませんので悪しからず**