メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

子どものお腹をいっぱいにしない

f:id:megane_kun_ha107:20210714084607j:image

物足りなさの大切さについての話。

 

会えない時間がー

愛 育てるのさー

目ーをつぶれば

君がいーるー

(「よろしく哀愁郷ひろみ

 

という歌がある。

この会えない時間という満たされない部分があるからこそ、会いたい気持ちという次への渇望がより強くなるのだろう。

 

焼肉を腹八分目で止めておくとまた次回も焼肉を食べたくなるとか。

ブログやnote記事をおっ結構書けてるぞみたいなところで、一旦休憩を挟んどくとか。

1時間で10キロ走るんじゃなくて、20分で3キロ弱を軽く流して終わるとか。

そんな感じか。

 

ちなみに餃子もフライドチキンもカレーも仲間内の大食いチャレンジ企画で挑戦したことがあるけれど、腹八分目どころか腹十二分目くらいまで食べると、そのあと数ヶ月は食べたくなくなる。

王将の餃子を見ても吐き気しかしなかったし、一緒にチャレンジした友人はケンタッキーフライドチキンの衣を剥いで鶏肉を食べていた。

なんでもほどほどが肝心なのだろう。

 

それはおそらく、子どもにとっても同じだ。

僕たち周りの大人は、ついよかれと思って「次の課題は…」とか「こうした方がもっと良くなるよ…」とかいう言葉をかけたり、「じゃあまだ時間があるから追加のプリントね」と約束よりも課題をマシマシにしてしまう。

やりたくない課題が二郎系でマシマシにされたら萎えてしまうよね。

それは約束を破った不信感や、子どもの徒労感に繋がる。

 

それだけでなく、ここで言いたいのは、やり終えた余韻や達成感に浸る時間や、「腹八分目でまだまだいけるんですけど」という物足りなさを感じる時間って大事じゃないのかな?ということだ。

 

やらされてやる学習よりも、自分から主体的に学ぶ学習の方が効果は高い。

 

僕が高校生のとき、同じ学校で定時制があった関係で練習時間が限られていた。

そのときの監督は「体育館で練習できる時間は限られている、だから何をどう練習するを考えろ。頭を使え。」と言っていた。

今はその言葉の持つ大事な意味がよくわかる。

 

「もっとやってみたい!」

子どもたちがそう思い、自ら動いていくためにも、大人が手を出しすぎないことやお腹いっぱいになるまで与えすぎないことって大事だなぁと思った。