メガネくんのブログ

何となく日々思ったことを書いていくブログです。教育や本の感想なんかも書いてます。表紙の画像は大体ネタです。

自分がしているからと他人に強要してはいけない

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以前のブログフェアネスについて - メガネくんのブログで書いたのだけど、子どもに限らず○○してくださいと伝える(指導する)ときには、こちらがまず手本を示すというか、他人に求めるからには自分もそうしないとフェアじゃないよねと考えていた。

最近読んだ本で、それは人的環境のユニバーサルデザインとか大人が子どものモデルになるなどの言葉でまとめられていて、自分のやってきたことは間違ってはなかったのかなと安心させられる。

 

でもそれと同時に、この他人に言うからには自分がモデルとならないといけないという心構えのようなものは、過度に信仰しすぎると怖いなと思うこともある。

それがタイトルの「自分がしているからと他人に強要してはいけない」という言葉になるのだが。

 

そう、自分ができているから、示しているから他人もできるだろうというのは大いなる勘違いだ。

まず前提として人はそれぞれ違うし、得意不得意や能力、思考、性格が異なる。

そして根本的な問題として、その人の人生のことを決めるのはその人自身で、周りの人ではないということだ。

これが、血縁関係や子弟関係、学校や職場での教える側と教わる側という関係になると、そう冷静に見れなくなる。

「なんでこんなこともできないんだ」

「俺がこんなに熱心に指導してやってるのに」

 

当たり前だけどできないことを責めてもできるようにはならないし、そんなことをするくらいなら「どうやったらできるか」を一緒に考える方が遥かに建設的だ。

その課題が本人に合っているのかどうなのかを考えることも大切だ(学校での決められたカリキュラムや賃金の発生する仕事となるとその課題を調整するということが極端に難しくなってしまうのだけれども…)。

熱心に指導したのか(かけた時間や練習量)どうかは多分そこまで重要ではなくて、「本人が理解できているのか」「本人がやることに納得しているのか」「本人に意欲があるのか」「本人が楽しんでやっているのか」などの方がよっぽど重要ではないかと考えてしまう。

 

「自分がしているからと他人に強要してはいけない」

そう、本人ではない周りの僕たちにできるのは、アドバイスをしたり、本人にやろうという意思があるときに具体的な方法を伝えてサポートすること、そうなるときのために関係をつくることぐらいなのだ。

アドラー心理学で言う、自分の課題と相手の課題の分離ができていないだけなのだ。

でも熱意や高すぎる距離はそのことを曇らせて、自分の思い通りに他人を動かせると錯覚させてしまう。特に相手が子どもや部下など自分より下の立場のものなら尚更だ。

 

他人に求める際には自分がモデルを示すというのは指導する側の心構えの問題だ。

お店側が「お客様は神様です」と思って接客するようなもので、客が「俺は金を出しているんだから神様だ」と思って傍若無人に振る舞うのはおかしいという理屈と同じだ。

 

「自分がしているからと他人に強要してはいけない」

忘れないように気をつけないといけないなと思う。