後輩教員と飲んでいたときに自尊感情や自己肯定感、自己効力感について話しているときに言われた言葉。
「僕は劣等感をバネに頑張ってやってきたんですけどね。だから子どもにもガンガンやらせて、できない現実を知るのが大事だと思うんです。そこからはじまるんじゃないですかね。」
人と比べて、あるいは自分が思っていた自分像と比べて、できていないときに僕たちは劣等感を感じる。
劣等感とは嫌なものだ。
自分か否定された気持ちになる。
冒頭の台詞のように、その劣等感をバネに変えることができる。「なにくそ」という悔しい思いや、「見返してやる」という気持ちは、大きなエネルギーに変わる。
僕自身も経験がある。
テストの点が悪かったとき、部活でレギュラーに選ばれなかったとき、バカにされたとき、などなど
劣等感は嫌なものだ。
その劣等感を味わいたくないから、嫌な自分を受け入れたくないから変えたいから、人は努力をする。
そうして努力して劣等感を跳ね除けた経験は、その人の中で大きな糧となり、次の劣等感をバネに変えることにつながる。
でも、劣等感を感じながら、それをバネに変えることができない人もいる。
彼らは、表面的には嫌な自分を認め(心の底ではそうじゃないと思うが)、「どうせ自分はできないから」と諦めてしまう。もしくは、「自分ができないのは、◯◯のせいだ」と環境や他人を理由にする。
ハナから諦めたり、他人のせいにすると自分は傷つかないからという面もあるのだろう。
その違いはどこにあるのだろうか。
どうすれば諦めずに劣等感をバネに変えることができるのだろうか。
その鍵は性格と経験にあるんじゃないだろうかと思う。
元々の負けず嫌いやプライドが高い性格の方が、劣等感をエネルギーに変えるのに向いている気がする。
もちろん、努力しても報われないときもあるし、負けず嫌いや高いプライドが強すぎると、負け惜しみを言ったり、プライドを保つために他に責任を押し付けたり(すっぱいブドウの合理化)してしまうこともるだろう。
そして、以前の記事頑張れる人と頑張れない人の違い 目指すのは「頑張れ」じゃなくて「頑張る」 - メガネくんのブログでも書いたのだが、努力して報われない経験を重ねたり、努力コスパが悪い(それは努力の方向性が間違っているだけかもしれないが)経験を重ねたりすると、努力=報われないと感じてしまうのかもしれない。
逆にいうと劣等感をバネに変えることができると、次の劣等感もバネに変えて自分を高めていくスパイラルに変えられるのかもしれない。もちろんどこかで限界はくるんだろうけど。
小さなことでもいいから、できないを克服する経験って大事だ。
そう考えると劣等感を感じるのも悪いことばかりではないのかもしれない。